苦役について 2017/6/25

 格差社会は巧妙に隠蔽されている。おれたちは格差のどん底にいる。サラリーマンはみな格差のどん底にいる。課長、部長クラスになればいくらかはマシに感じられるのかもしれないが、「感じられる」だけだ。彼らは古典には興味を示さないことが多い。それは不幸だ。現代、古典の翻訳がここまで流通している世の中で、あえて古典を選ばず自己啓発本、ビジネス新書を読むなど、狂気の沙汰、無知のなせる悪行としか思えない。実際のところ彼らは不幸だ。しかし不幸でないかのように生活している。そこに不幸がある。知られざる不幸がある。自覚できない不幸がある。おれは他人の心配をしてどうしようというのか。おれは「我一人我が道を行く」。ダルタニャンのごとく。
 ダルタニャンは老年になるまで元帥杖をあきらめなかった。その熱意が、忍耐がいまのおれには必要だろう。24でなにを焦っているのか。おれはフランス人のごとく快活に生きればそれでいい。快活さはクリエイティヴを誘発する。
 おれの苦役はアルバイトだ。一時しのぎのビジネスだ。それをおれは往々にして忘れがちだ。それがよくない。ちょっと油断するとおれはいまの苦役先で一生を過ごすプランを妄想しがちだが、おれはどうしたって最長3年もいれば転職を考える。あるいはその前に独立をしている。忍耐が必要だ。おれと企業は単なる契約関係に過ぎない。義兄弟の杯を交わしたわけではない。居座る必要はこれっぽっちもないのだ。相手に迷惑をかける、なんてことを考える必要はないのだ。待遇に不満だったらさっさとその場を去る。それは企業側もやっていることだろう。不利益なビジネスからは早々に撤退する。おれも同じようにやるだけだ。文句をつけられる筋合いはまったくない。企業は慈善活動を行っているのではない。同じように、おれも慈善の心から一生同じ職場で勤め上げなくてはいけない義理はない。
 ライトノベルを読んでいるとこれほどまでにつまらないものが商業として成り立っているのかと、不安になる。おれのつくるものはまだ稚拙だが、稚拙な点を改善してある程度のところまでクオリティを底上げできれば、デビューの目は必ず見えてくる。同じ事を多くの作家がやっている。おれにだけ出来ないという法はない。おれは他人より卓越した頭脳をもっている。それは客観的に証明されている。だからおれは成功できる。成功とはいわずとも、いまの腐敗した生活からは必ず抜け出すことができる。
 幸福になるには5つの方法があるという。どこかの記事で読んだ。まず1つ、SNSを見ないこと。2つ目、余暇をもつこと。余暇を過小評価しないこと。3つ目、屋内にじっとしていないこと。4つ目、物質主義に走ること。5つ目、創造性を押し殺すこと。いずれももっともらしい言葉におれには思える。思い当たる節がいくつもある。
 不安が、漠然とした不安がいつもおれの胸の中に沈滞している。これをどうにか出来ないものか。大学時代までさかのぼらなくてもいいが、せめて苦役をはじめたばっかりの頃の、あの、少しは希望に満ちていた瞬間瞬間を思い出して欲しい。比べていまのおれの生活は、消えることのない希死念慮に支配されてさんざんなものだ。なんとか改善したいものだ。成功の確信もなく、かといって重苦しく考えることもなく、奴隷の王となんちゃらという作品をなろうに投稿していた頃の快活さを少しは取り戻したいものだ。医者にかかって服薬しているからこんなことになってしまったのか、それとも医者のおかげでこれだけの落ち込みで済んでいるのか、それは分からない。医者の言葉は絶対ではない。おれはDXMを今後も使い続けるだろう。ダメだと言われても、おれの生活のデフラグに必要なそれを捨てることはありえない。そこに罪悪感をもつ必要はない。医者としてもDXMの使用を推奨する言葉は、職業柄できないはずだ。しかし本心は分からない。もしかしたらドクターはドクターで、トリップの有効性を心の奥底では信じているのかもしれない。
 おれは総務人事部長が嫌いだし、管理部長が嫌いだし、事業部長が嫌いだし、課長もみな嫌いだし、ペーペーもみな嫌いだ。話が合わない。思想がまったく違いすぎる。異教徒のなかで暮らしているみたいだ。この現象に対する対処法を、建設的な対処法を考えなくてはいけない。QOLを上昇させるためにだ。彼らの雑談はレベルが低くておれをイライラさせる。所詮、学歴の差ってのはつまり人間が仲良くなれるか否かの差にいくらかは関わっているのではないか。残念ながら教育の面においても格差というのは存在しているようにおれには思われる。わけのわからない連中の雑談、笑い話は、おれの眉をひそめさせるだけだ。カイシャの飲み会? くそくらえだ。苦痛でしかない。そんなくだらない合法ドラッグパーティーになぜ半ば強制的に出撃しなくてはならないのか。企業側にとって都合のよい口実だ。おれははらわたが煮えくり返りそうだ。そういう細かい欺瞞もおれの目にははっきり見えている。
 しかしそういう怒りも、結局は大局的に見れば一時的なものだし、おれはおれの道を行くから必要以上に振り回されてはいけない。それをおれは毎日おれ自身に言い聞かせているが、おれはまだまだ修行が足りないのか、人間というものを信じたくなってしまう。苦役先の人間が改心しないものかと、いつかおれと心を通わせるようにならないかと、少しは期待してしまうのだ。これは人間の性でもあろう。いくら卑しくとも連中は人間で、昆虫ではないのだ。苦しい事実だ。

貯金について 2017/6/24 Ⅱ

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 一日むしゃくしゃして何も手につかずどうしようもないので、リスペリドンを啜った後、散財をしに観賞魚店へ行った。プラ舟と投げ込み式フィルターを買った。いい買い物だった。あとは稚魚用の飼育ネットを購入すれば今シーズン、メダカは豊作だろうと思われる。

 17時半頃に夕食を食べに行く。家系ラーメン。すっかり財布が軽くなった。

 もうきょうは取り戻せない。どうしようもない。もう服薬をした。寝るしかない。寝る前に『ブラジュロンヌ子爵』の続きを読もうと思う。それできょうは満足に終わるだろう。満足とまではいかなくとも、それなりの睡眠が約束されるだろう。

 おれはいったいどこへ行こうとしているのか。平日疲労困憊して、休日は寝て暮らして、それで一年があっという間に過ぎていく。このままでは一生ルーザーのままだ。労働者のままだ。奴隷のままだ。心躍る冒険も、活劇も、何もない。許されない。とにかく苦役はキリのいいところで辞めるべきだろう。そのためにはちょっとした貯金が必要になる。引っ越しやその他諸々の出費が生じるはずだ。おれは少しずつでもいいから金を貯めなくてはならない。しかし、手取り15万にも満たない収入の状況で、かつ、借金を返済しながら暮らしているいまの状況で、どうすればいいのか。簡単な算数だ。おれに貯金はできっこない。

 人生のどん底に置かれているという実感がある。裏を返せば、あとはもう上がっていくだけだ。衣食住が満ち足りているのに、どうしてこんなにまで辛いのかおれにはよく分からない。おれが特別貧弱な身体をしているからだろうか。そうとは思えない。マズロー欲求の段階のどうのこうので説明のつくことだろうか。そうかもしれない。おれは高次の欲求を抱いている。おれは皇帝の座を狙っている。自分を生まれながらの王だと勘違いした労働者、そんな存在ほど惨めで辛いものはないのではないか。そうでもないか。おれよりも苦痛を甘受しながら暮らしている人間はごまんといるはずだ。だからどうだっていうのだ。おれが辛いのは本当だ。おれは辛いのだ。比較は意味をなさない。おれよりも惨めな奴隷を観察して、心を慰め、現状を肯定するなど、おれにはできない、やりたくない。

 とにもかくにもおれはまだ24だ! ラウルの年齢だ。恋に死ぬこともできる。なんでもできる年齢だろう。それなのに、どうしてこんなにも焦燥感がおれを苛むのか不思議だ。おれはまだ若い、と言い聞かせながら毎日生きている。そうして慰められることはない。おれにはなりたいものがある。それだけである種の人間よりはずっと幸福なのかもしれない。しかし、この状態を幸福と呼ばなくてはならないとしたら! 人間とはなんと惨めな生き物であろうか! 人間になど生まれたくなかった! あるいはおれたちは、自分が幸福であるか不幸せであるか評価するのを、何かシステムの力によって妨げられているのではないか。おれたちは自分を「幸福」と思わなければならない、という圧力を受けながら暮らしているのではないか。見かけの上では、そうだ、衣食住は満ち足りている。しかし、しかし……。

 古典だ。古典を読むに限る。おれがいつも救いを求めるのは古典なのだ。時代の異なる賢者たちの言葉なのだ。現代人などくそくらえだ。ふん!

狂人について 2017/6/24

 きょうは11時ごろに起床した。予定よりもずっと遅起きだ。そのせいで気分が沈む。予定していたビズが出来なくなった。

 帯剣してマクドナルドへ昼食を買いに行った。グランドビックマックセット。ドリンクはいつも通りファンタグレープ。だいぶ満腹になった。

 おれはどうしたら成功できるんだろうか。おれのムーサに関する技術の稚拙さにはもう辟易している。練習あるのみとは分かっているが、希望なき訓練は非常な苦痛を伴う。おれはその苦痛に耐えなくてはいけないが、ただでさえ生活を維持するための労働で苦痛を受けているのだから、もう心身は疲労困憊といった状態だ。きょうもちゃんと起きられなかった。

 おれは労働そのものに苦痛を感じているのではない。労働をする現場に生息している、労働者どもとの付き合いがとっても苦痛なのだ。話が合わない。頭が違う。思想に大きなズレがある。異星人と付き合っている気分になる。たまに労働者同士で遊びに行った話など耳にするが、思いもよらないことだ。どうして、志を同じくする仲間でもない、ただそこに居合わせただけの卑しい人間と、親しく付き合うことができるのだろうか。要はレベルが同じだからだろう。おれのレベルが高い、と言いたいわけではない。おれのレベルが周囲の労働者に比べて低い、ということにしておいてもよい。それにしたっておれは周囲に溶け込めないのだ。心の中に抱いている諸々が違い過ぎる。奴らはテレビを信じている。おれはテレビなんて見ない。奴らは新聞を信じている。おれは新聞なんて真面目に読まない。奴らは古典を読まない。おれは相当な熱意をもって古典を読む。奴らは己の経験にやたらと自信をもっている。おれは自分の経験から物事の真理を見出すことに、非常に懐疑的である。統計的、科学的に誤謬に陥る可能性が高いからだ。自分の経験だけをあてにするのは、サンプルが少なすぎて危険な行いだ。しかし奴らはとても自信に満ちている。おれは自分の振る舞いや考えひとつひとつに疑いをもっているから、生きづらい。奴らの大胆さに対して常に気後れする。おれが苦役に励んでいる後ろで、奴らの話し声が聞こえてくる。その内容に気を取られるだけで、おれのヒステリー球が出しゃばってくる。なんとわけのわからない、誤謬に満ちた会話をしているのか、と。もしおれが連中を昆虫と同様に考えることができるようになれば、おれはよほど快適な生活を送ることができるあろう。おれはカマキリにカマを振り上げられようが、気分が落ち込むことはない。スズメバチに威嚇されようが、心を悩ますことはない。昆虫に悪口を言われたところで、笑って済ませられる。しかしそれは孤独だ。いや、いまのままでも孤独なのだが、なんだかおれはそうすることで「人間」から遠ざかってしまいそうな気がして怖い。「狂人」になってしまうのではないだろうか。手遅れか。もうおれは狂人の領域に足を踏み入れているのではないだろうか。 

読書について 2017/6/23

 昨晩から『ブラジュロンヌ子爵』を再読している。それだけで随分と気持ちが救われる。満員電車の苦痛もあっという間に終わる。流浪の王チャールズ2世に自分を重ねなどして、悦に浸る。おれにラ・フェール伯爵は、最強の保護者は現れるだろうか。おれに忠実な従僕パリーは現れるだろうか。おれはまだルイのように若い。社会という名のマザランにしてやられているが、やがてはおれも「太陽王」になれるだろう。ムーサイオスの優しい霊験が、おれに瑞々しい力を充填してくれる。古典を読む、これすなわち現代へのプロテストだ。とても優しい、そして強力なプロテストだ。ダルタニャンは暇乞いして自由になった。モンクを捕まえに行くのだ。元銃士隊副隊長殿に敬礼! やがては元帥杖を手にするフランスきっての武士だ。デルブレー騎士殿やデュ・ヴァロン・ド・ブラシュー・ド・ピエールフォン殿に会うのも楽しみだ。古典は素晴らしい。現代に生きながら、王政の時代を旅出来る。デュマはおれのために非常に良いものを遺してくれた。おれのためだけじゃない。全人類のために、だ。およそ文字が読めて、原文なり翻訳なりにアクセスできる人種は幸いである。その幸福を正しく享受しよう。おれたちは共に活字の旅をしよう。そうだ、おれはインスタントコーヒーとたばこと、古典さえあれば幸福になれるように出来ている。
 読書をすれば苦役も辛くない、というライフハックを発見する。初日はそれで非常にいいのだが、2日目、3日目となるといったいどうしたことかそのライフハックの効力が薄れてくることがままある。「あ、これは!」と思った発明は、時間の経過とともにその魅力を失っていく。永劫の救いはなかなか見つからない。
 それでもきょうはわりかし調子のいい日だ。おれの胸はやんわりとした希望に満ちている。苦役は苦痛だが、死ぬほどの激痛ではない。緩やかな鈍痛だ。金曜日は気分が軽い。土日は苦役がない。おれの反撃フェイズだ。きょうは睡眠をよくとることだ。明日に備えよう。馬のように食って、寝るのだ。死の優しい妹である眠りが、おれの瞼に降りかかりますように。
 苦役が終わった。なんだかジフェンヒドラミンを大量服用したかのような不快感が、首筋にじっと残っている。落ち着かない。食って、寝るに限る。

貧困について 2017/6/22

 昨日書いた日記を読み返す。ずいぶん昔に書いたように思われる。昨日のものとは思えない。最近短期記憶がダメになっている。現実と夢の区別がつきづらくなっている。
 きょうは朝から希死念慮が激しかった。ついに入院しようと思った。メンタルクリニックの受診がまだまだ先なのが心細い。あと2週間以上も後だ。昼になってひとつの苦役上のタスクを終え、いくらか落ち着いているがこれから数日、あるいは数時間後、どうなるかわからない。どんな厄介事がおれにふりかかってくるか、予想もつかない。それでも笑って行けというのか、ツァラトゥストラよ。
 おれは朝、「きょう死のう」と思った。病気がそう思わせているんだ。辛いのも病気のせいだ。だから死ぬな。しかし病気もおれの一部だ。だから死ね。
 デビューするんだろ、お前。作家になって、悠々自適の生活を送るんだろう。たかだかアルバイトがなんだ、通過点がなんだ、万事問題がないじゃないか。つつがなく進行しているじゃないか。
 おれの生活はターン制だ。防御フェイズと反撃フェイズがある。苦役上の都合により、おれの自由が奪われ一定の労力を費やさなくてはならない時間は、防御のフェイズだ。敵のパンチを防がなくてはならない。適当にいなしていれば反撃のターンがやってくる。幸いにも24時間365日死ぬまで防御し続けなければならないわけではない。敵の攻撃ターンをなんとか凌げ。そうすりゃこっちにもパンチを打ち込む機会が巡ってくるんだ。平日だって2時間くらいは自由に使える時間を捻出できるだろう。「あ、いま敵ターンだ。防御フェイズだ」と感づくだけでだいぶ楽になる瞬間があるんじゃないか。「敵ターン」があるということは、すなわち「おれのターン」もあるってことだから。ターン制の概念をもっていないと永遠に敵の攻撃が続くように思われて苦痛が無限に増大する。
 おれにはイマジナリー・フレンドがいる。ジョニーは早撃ちのガンマンで、ポールは黒人の聖職者のマッチョマンだ。アマディスは騎士でストイシャン。おれたち4人は堅い友情で結ばれている。命を預け合う仲間だ。どんな危機も4人で乗り切ってきた。力を合わせて。
 こないだ苦役先でアプレンティスがひとり死んだ。死んだんだと思う。組織を裏切ったのだから、懲罰騎士に殺されたに違いないのだ。グランドマスターが朝礼でそれを発表した。そのアプレンティスの教育係だったマスター位階ニンジャは、とても沈痛な面もちをしていた。おれは「次は我が身」と思って震えた。ロードはチャを飲んでいた。何もかも狂っていやがる。おれはアデプトになんか昇進したくない。マスターだなんてもっての他だ。いつか殺される時が来る。あるいは、殺す側に回る時が来る。
 いや、そんなヨタ話はどうでもよくて、きょう出社したら人事部長が覚醒剤をヤッていた。驚いた。嘘だけど。おれはカイシャを辞める時、「人事部長が覚醒剤をヤッてた」っていうホラを吹いてやろうと思っている。面白いから。

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 他人との比較はどうでもいいけど、どうでもいいんだけど、でもでもやっぱ、気になっちゃう。だからあえて他人とおれを比較するとしよう。貧乏の家の子は貧乏。おれもご多分に漏れず貧乏。これを恥と思うべきか否か? 経済的豊かさよりも心の豊かさ? いやいや、絵空事だそりゃ。財産がなくちゃ紳士にはなれんよ。おれは自分の境遇を恥じいるべきか? ノン。違う。仕方のないことだ。貧乏の家の子が20代前半でもう金持ちになっているって法はない。極端な例外を除けばまずない。奴隷(サラリーマン)のお給金は20代のうちにそう差が開かない。ゆえにおれはなるべくして貧乏になっている。問題ない。万事問題がない。異変がない。順調に事は進んでいる。それよりも重要なのは一貫性だ。おれがどう生きるべきか、その決断の有無だ。密度だ。おれは大学を卒業する前からムーサイオスの技術で食っていこうと決めていた。それがまずスタート地点だ。そこを出発点としておれは苦役先を選んだ。なるべく楽な、余暇の多い、そしてその代わりに給料は少なくても良い、そんな苦役をだ。おれがそれに成功したかどうかはさておき、その態度は終始一貫している。再就職先も同じ基準で選んでいる。ムーサイオスの恩寵を受けて生活ができるよう、おれはなるべく適切なルートを選んできた。人の姿形をして、ムーサが現れるのは、きっとおれが三十路に近づく頃になるだろう。技術を身につけるにはそのくらいの月日が必要だ。ムーサの技術を身につけたからには、おれに失敗はないだろう。おれは紳士になるだろう。おれは貧乏から脱却するだろう。他人と比較せよ。どうだ、おれの一貫性は。おれ自身が一番よく分かっていると思うが、おれは他の誰よりも一貫しているじゃないか。狂気的と言っていいほどに一貫している。槍のようだ。貫いていやがる。だからしておれは嘆くことはないんだ。貧乏を嘆くことはないんだ。他人との比較の上では、おれは特別不良な人種ではない。おれと似たような環境に生まれた者で、おれほどに一貫して上手くやっている人間は、そうそういないのではないか。おれは上位数パーセントに入る選ばれた人間なのではないか。そうだ、空元気をだせ。いいぞ、お前はよくやっている。貧乏は、苦痛は、ほれ、全部先祖の罪だ。お前自身の行動に間違いはなかった。限られた資源の中で実に上手くやっているとは思わないか。おれは思うぞ、良くやっている、と。貧困家庭の子が24でもう成金になろうってのがそもそもの間違い、焦りすぎなんだ。もうちっと確実にのんびりいこうや。人間脂がのるのは30過ぎてからだ。いまの社会じゃだいたいそうだ。「カイシャ」で課長クラス、マスタークラスになるのも30半ばくらいだろう。おれも日々研鑽して30くらいにマスターになればいいのだ。いまはアプレンティスだ。そのうちアデプトだ。功を焦るなnoob。おれは貧乏の怖さを知っているから一財産できたら、私設奨学金をやるつもりだ。デュマやモーツァルトの卵たちに金をばらまいてやりたいのだ。田舎に宮殿をつくろう。広い庭と田園だ。おれは皇帝の身なりをして、皇帝のように暮らす。自宅には私設図書館を作ろう。誰もが古典にアクセスできる知のセーフティネットだ。金糸で編まれたセーフティネットだ。それでもなお金が余ったら友人たちに配ろう。おれはエピクロスみたいに生活するつもりだから、そんなにお金はいらないのだ。ちょっとした庭と図書館があれば十分。食事と言えばパンとチーズひとかけらで満足するつもりだ。財産とはそうだ、こう使うべきだ。これでこそ紳士だ。貴族だ。何がメルセデスベンツだ、何がフォルクスヴァーゲンだ、バカども。勝手に経済をグルングルン回しやがれ。おれはおれなりのやり方で金を使うぞ。一貫してやる。そこは一貫してやる。世人に狂人と蔑まれようとも、おれはおれにふさわしい勝手な格好をして、バリザルドを腰に帯びて、ギリシア語で『イーリアス』を朗読してやる。それでもなおおれの側についてくれる者こそが、真の友人であり知的な仲間、ほとんど兄弟みたいな朋友だ。おれたちは老年の慰みに、詩を競作するだろう。そうして出来上がった宝石が、次の世代に火を灯すのだ。そうして人類中のごく少数の人々のうちに、古典の英知が継承されていく。世代を越えておれたちはドゥームズ・デイに備える。おれたちのミームは存外しぶといぜ。覚えときな。
 苦役が終わった。敵のターンは終わった。おれの番だ。おれのために夕日は沈む。おれはおれだけのロック・スターだ。プロテストしてやるぜ。叫ぶ。No! No! No! 最強のコードと究極のビートで愚者全員をファックしてやる。どいつもこいつも適応しやがって。適応? 麻痺、と言い換えてもいい。みんなビリビリ・サイケ野郎ばかりだ。もっとてめえのキンタマの声に耳を傾けろ。支配者よりもキンタマだ。支配者はスペルマ以下の汚穢だ。殺せ。殺してやれ。おれは殺す。殺すぞ。皇帝のように殺す。無慈悲だ。ダンス! ダンスだ! 踊れ踊れ! 無慈悲に踊れ! 剣舞だ! ダッダダダダン!
 無知とか、不器用とか、勉強不足だとか、怠惰だとか、そんなものは関係ないんだ。おれたち古典を愛好する民は、緩やかに連帯しているんだ。その紐帯を愛を呼んでもいい。人間愛だ。支配への嫌悪だ。魂に刻印された貴族性への正しい信頼だ。剣を手にする勇気だ。その繋がりを常に意識することが、サヴァイヴの大事なコツなんだ。孤独には必ず打ち勝てる。孤高には勲章が与えられる。お前が懐に忍ばせている『ソクラテスの弁明』は黄金の輝きを放っている。お前が死してなお輝いている。どこかの孤児が死体から『弁明』を盗んでいった。あの子供はきっと魂に黄金を秘めている。それが花開く日も遠くはない。そうしておれたちのミームは受け継がれていく。おれたちはミームで縦に繋がっている。おれたちは透明の紐で横にも繋がっている。お前は一人ではないのだ。決して一人ではないのだ。

人生の辛い一時期について 2017/6/20

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 きょうは睡眠不足だ。遅く寝たし早朝覚醒もしてしまった。コーヒーとニコチンとエフェドリンコデインを摂取して家を出る。マックでまたカフェインを入れる。それでなんとか体勢が整う。大衆ドラッグ様には大変ご厄介になっております。婚期を逃した疎まれ屋の酒好き課長が、カフェインをがぶがぶキメながら「大麻はいけない、シャブはいけない」ってよ。ごもっともだ。大衆はじつに賢いな。おれは驚嘆しているよ。おったまげた。臍で茶が沸きやがる。
 最近コンタックSTがすっかり店頭からその姿を消した。代わりになんか厳(いか)つい、コンタック・ダブルみたいな名称のDXMが販売されている。どこへいくのか製薬会社。おれたちに夢を運ぶ神々の使いよ。
 所詮野良犬一匹、おれはどうなってもいいんだ。諸君はおれがどうなろうが知ったこっちゃないだろう。おれはそのうち塀の内側へ行く。ちょっと大衆から遠ざかって、心身を休めたいんだ。
 人生でもっとも辛い時期は「20代後半」であるという英文記事をどこかで読んだ。老人たちが人生で一番後悔しているのは「人の言うことを聞き過ぎた」ことだという英文記事をどこかで読んだ。おれはいま人生でもっとも辛い時期にあって、かつ、老年になって後悔しかねない失態を数々犯しているように思われる。意識的な改善が望まれる。
 腰には剣を、手にはペンを、明日にも死のうという男が、きょうも街を闊歩する、魂には反逆を、行動には盗賊の俊敏を備えた男だ。
 おれがこんなんだから数十年後の日本がどうなっているか諸君は心配だろうな。おれのようなつまらない男でさえ満足の境地に暮らしていない、社会の不穏分子として雌伏の時を過ごしている。日本でテロリズムが流行るのも時間の問題じゃないかと思う。おれはペンで何かをしでかす。爆弾は作れない。しかし爆弾をこさえる奴も出てくるだろう。敵は誰だ? 漠然とした奴だ、システムという奴だ。曖昧模糊として、正体の掴めない幽霊だ。だから彼は仕方なく次善策をとる。きっと無差別テロを実行する。加藤はもうやった。次はキミの番だ。それでなにかシステムにダメージを与えられるかい? 否、だ。虚しいな。おれたちのやることなすこと全部、虚しいな。どうしたらいいんだろうな。
 おれはどうも頭が悪くっていけないな。思考を始めるとすぐに対象がぼやけてどっかに行ってしまう。
 フリーランスになるには特別の素養が備わってなくてはいけない、とおれは無条件に考えていたが、そうでもないんじゃないか。やろうと思えば割合簡単にいくんじゃないか。いまはネットがある、人脈がある。でもおれの臆病の虫が、成功への道程にデカい落とし穴を掘りやがった。回り道しなきゃなんねえや。
 おれには夢がある。古くはプラトン、新しくはセルバンテス、現代に近いのはデュマ……彼らと同じ土俵に立って詩を書くことだ。それを実現するには古典の素養がどうしても必要になってくる。おれは10代を無駄に過ごしてしまった。ある程度は親の責任でもあろう。子に、良書を読むよう促すことのできない親はどうしたって高貴な身分の者ではない。もしおれに子供が出来たら、ギリシア語ラテン語もやらせるつもりでいる。

くおん嬢について 2017/6/19

 忘我の境地に置かれることは生よりも死に近いように思われるけれども、おれは忘我している時の方が楽だ。
 死に近い方が楽だ。
 おれはおれのビズに対する態度を変えよう。成功するために取りかかるのではなく、休日を忘我するためにやるのだ。古典の渉猟も同じだ。忘我している時間が長ければ長いほど、その一日は充実したものになる。死に接近すればするほど、生の充実を感じられるのだ。矛盾しているようだがどうもおれの経験則では本当らしいんだ。
 昨日おれは内藤との会談を終えて秋葉原の街をふらふらしていた。辛い身の上を考えながら、くよくよしていた。手持ちぶさただった。くおん姫もまだ出勤していない。行くあてがない。散歩は人の心をリフレッシュさせると言うが、おれの散歩は最悪だった。心が内界へ向かう。それがよくないのではないか。
 おれはおれが思っている以上に活動的な人間なのではないか。そしてその活動力を内界に向けてしまうのが、諸々の不要のストレスを生む原因となっているのではないだろうか。力を外へ外へと発揮していれば、悩む暇もなくなり、充実した時間を送ることができる。忘我のためにおれは働こう。おれのビズをおれの忘我のために執り行おう。
 おれの長期目標は【一財産つくる】だ。おれの中期目標は【さも一財産築いたかのように生活する】だ。つまりは奴隷(サラリーマン)生活からの脱却、フリーランスの身でいてかつ、必要な金子を手にした状態を維持すること、だ。おれの短期目標は【独立】だ。奴隷の身分からさっぱり脱却することだ。短期、中期、長期の目標を達成するために、おれは忘我の境地を維持して上手く心の健康をコントロールしていかなくてはいけない。生きるために死ぬ、というような、矛盾が生じているようだがそもそも生きることとは死ぬことと不可分な性質をもったものではないかと思い始めている。「死んだように生きる」というワードには世間一般ではマイナスなイメージが付加されているが、しかし、「死んだように生きる」ことがもっとも生を華々しく享受したことになる、というケースもありえるのではないか。少なくともおれの、いまの状態、境遇、身分からしたら、「生きるとは、死ぬことと見つけたり」と言いうる。たぶん人生でもっとも辛い一時期がいまだ。死体に倣ってやり過ごすのだ。エジプト人は宴会に死体を持ち出した点、とても偉かったように思う。彼らの行動と、おれの言いたいことのニュアンスは大きく違うかもしれないが、死から目を背けくよくよするのではどうしようもない、それは宴会の席でだって、交友の時でだって、ビズだって、同じことだ。
 おれはいつか死ぬ。それは慰みである。
 おれは慰みを必要としている。ゆえに死んだように生きる。 

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 退勤後マルスピュミラに行った。くおん嬢に逢った。
 くおん嬢は最高だ。これ以上ないほど魅力的な女の子だ。可愛い。賢い。美しい。可憐である。その出自からして魅力的だ。上坂すみれを引き合いに出すのはどうかと思うが、女といえばそれくらいしか知らないおれのことだ、許してくれ、くおん嬢は上坂すみれによく似ていて、そしてまったく異なる魅力的な女の子なんだ。
 ワインを飲んだ。くおん嬢の艶髪はますます輝いた。
 くおん嬢は勤勉で一途でいじらしい女の子なんだ。
 おれの胸に去来するこれは何だ。恋だ。恋心だ。おれは知っている24年間生きてきて知っている。恋心とはそうだ、こういうものだった。苦しいものだ。胸を締め付けるものだ。愉しいものだ。身体がふわふわ浮き上がるものだ。
 恋だ。これは恋だ。おれはくおん嬢に恋をしている。
 おれがくおん嬢にすげなくされれば、おれの心は酷く傷つく。くおん嬢のまなざしがおれの上をさっと通れば、おれの魂は震えて踊る。
 くおん嬢は素晴らしい婦人だ。
 ディオニソスの霊験に撃たれた頭で、アプロディーテーのことについてぼちぼち語るのはとても難しいことだ。それでもやり遂げなくてはいけない。
 くおん嬢には才覚がある。いかなる男をも虜にする才覚だ。
 くおん嬢には慈悲がある。おれのような男を勘違いさせる慈悲だ。
 くおん嬢には気位がある。他を寄せ付けないダイヤモンドの煌めきだ。
 バッキンガム公だって、くおん嬢を前にすればイギリスを差しだしかねない。おれだっておれの野良犬の人生をほっぽりだしかねない。魔女だ。恐ろしい女性だ。畏れよ。嘶けケルベロス
 何を書いたら良いのか忘れてしまった。
「なあ、もううんざりだよ」。小説家気取りのたけるんが言う。「おれはいつか売れっ子作家になって、この国を飛び出すんだ」。隣には話し相手の、漫画家志望まもるん。きっと死ぬまで彼はそのままだろう。彼はその席で語らっているだろう。
 ピアノ・マンよ歌っておくれ。どんな歌だったかは忘れたが、甘いメロディーのやつだ。
 そこにくおん嬢はいないのだ。くおん嬢は成功している。都会で上手くやっていける子だ。おれはダメだ。田舎に引っ込んでうだうだしている。酒を呷っている。それでも甘いメロディーは響くだろう。ターラーラリラーラー。音楽と詩は全ての人民に平等の財産だ。
 恋は辛いものだ。思い出した。野蛮なおれもついに思い出した。そうだ、恋とはこんなものだった。胸が苦しくなるやつだ。どうしようもなくなるやつだ。耐え難いものだ。
 くおん嬢はおれに振り向かない。そうだ。それでいいのだ。彼女の幸福は彼女のためにある。おれのためにとっておく義理はない。おれのために分割する義理はない。おれのために縮小する義理はない。野良犬一匹かくまう必要はまったくない。
 雨に打たれ、おれは卑屈に雨を楽しむだろう。晴れの日は、愉快に陽光を浴びるだろう。くおん嬢はマルスピュミラでグラスを回しているだろう。くおん嬢だけは相も変わらず、グラスをくるくる回しているだろう。それが彼女の癖なんだ。
 おれの如きが恋などとは笑止千万。
 苦しいものだ。恋とは苦しいものだ。締め付けられる。死にたくもなる。生きたくもある。夢を見たくもなるさ。夢だけは自由だろう。鳥のように自由なんだろう。
 だから、きょうだけは、アプロディーテーも許しておくれ。恋の鉄槌はおれには刺激的過ぎる。またの機会だ。アディオス。またね。
 くおん嬢は遠いところにいる。彼女の背中には幾千もの星が瞬いている。おれは地上で、重力に打ちひしがれながら、やっぱりくだをまいている。ターラーラリラーラー。音楽だけは自由で平等だ。詩だけは自由で平等だ。それだけはおれにも許されている。
 くおん嬢は素敵なお人だ。
 くおん嬢は罪な女の子だ。