仕事のとりかかりについて 2017/4/30

 きょうは5時に起きた。カフェインを胃に流し込んでバッチリだ。チェを吸って水を飲んで、コンビニに金を下ろしに行く。その足で定期を買う。朝食はバナナ8本。食前に服薬。

 ちょっと油断するとつまらないことばかり思い出される。それというのも何か有益なことに集中していないからではないか。少なくともおれのビジネスにとりかかり、ある程度かたちになっていれば、そちらのほうをこそ脳は優先して思考してくれるのではないか。仕事はとりかかりが、スタートが難しい。受験時代もそうだったが、やはりはじめに単語帳を開くのが一番億劫で厄介なハードルなのだった。そのためにもこうしてパソコンを(パソコンはおれのギターだ、マシンガンだ)開いて、ウォーミングアップとしてこのように日誌を書くのは有益であるとおれは考える。

 何度も何度もこの日誌には書いているが、みんなが金の言うこと聞くからおれはさっさと財産を形成したい。財産がなければ余暇がない。余暇がなければ市民として当然の思考、交友、政治、そうした活動が大きく制約される。どうもサラリーマンは自分を一流の市民と考えている節があるようだが、(ギリシアの古典に、ごくわずかにだが親しんできた)おれから言わせれば、ただの商人の手伝い人、奴隷、小間使い、そういったところのものだ。彼らが選挙権を行使しているのにはどうも一種の滑稽さを感じざるをえない。選挙権をはく奪しろとはおれは言わない。しかしそれでも、だ、おれは冷笑している。おれはインスタントコーヒーと手巻きたばこと文庫本とテキストエディタ、そして十分な余暇さえあれば満足な生活の送れる男だ(なんとまあ、よくよく節制を知る男だろう)。財産といっても、そんなに莫大じゃなくていい。分不相応な金を手にしたらおれは友人に分け与えてやるつもりだ。それが一番よい使い方だと思う。心から思う。おれの友人はみな商人などに身を落とすにはふさわしくない剛勇ばかりだから、彼らに実質的な市民権を与えてやりたい。反対に、もしおれの友人が持て余すほどの金を手にしたら、彼らはきっとおれに土地のひとつでもくれるつもりでいるだろう。確信している。1日に8時間奴隷の労働をするというのは、市民としての寿命を8時間失っているのとまったく等しい損失なのだ。

 どうも2015年あたりからやり場のない怒りの感情が止まらない。●●を服用してから目に見えて改善はしているものの、一度身についてしまった思考の癖のようなものはなかなか抜け落ちてはくれない。おれは野良犬だってのに企業というやつはおれに「ワン」ではなく「ニャン」と鳴かせようとプレッシャーをかけてくる。現代社会では奴隷を直接撃つための物理的な鞭は廃止されている。その代わりに精神的な鞭は実に洗練された形で用意されており、これがおれをピシャリと毎日撃つのだからたまらない。鞭で撃たれながらニコニコ笑って楽天的に過ごしている連中は、きっと魂まで「研修」されちまったんだろう。魂に埋まっていた銅はとっくに錆びちまっている。おれたち魂に黄金を抱く種族は、連中にかまっている暇など持つべきではない。死ぬ時が来たと判断したらおれはすぐに死んでやる。鞭を浴びながら笑ってなどやるものか。それこそ死よりも屈辱、苦痛にまみれた境遇に突き落とされるというものではないか。地獄ってのはそういう状態を表した言葉なんじゃないのか。