不幸の源について 2017/5/1

 きょうは労働の日だ。労働したくない。素直にしたくない。つまらない大衆と上っ面の付き合いをするのが苦痛だ。おれは目の前の労働バーに集中して他人とは目も合わせないようにするがよい。貧乏は苦だ。先祖が用意した領地をおれは継承しなかった。だからおれは浮浪者だ。貧乏な浮浪者の首根っこ捕まえて労働バーをひたすら連打させる企業という奴めが、善人面して社会を闊歩していやがる。おれの不幸の源は貧乏だ。財産がないということだ。実にシンプルだ。
 なんとか具体的な対処法を、精神を健全に保つ技術を身につけたい。おれは青を信仰しており周囲の連中は赤を信仰している。それだけで相当のストレスがのしかかる。言動が、思想がかみ合わない。洗練された、隠蔽された暴力が毎日毎日ふるわれる。排斥。
 剣とピストルは社会から根絶された。ゆえにおれは容易に侮辱を受ける。もしおれに武器があったら。おれは次々と決闘を仕掛ける。7人は斬り殺してやるつもりでいる。8人目を相手にしておれは討ち死にするかもしれんがそれは仕方がない。
 チューインガムを噛みながら、背中に疑問符を抱いて、おれは毒づいてやる。小生意気なガキのままでいてやる。そのガキは大人に誉められるようなバカにだけはなるつもりがない。大人――システムを盲目的に信仰する狂人ども。
 『ダルタニャン物語』は痛快だ。剣とピストルの時代の話だ。おれはダルタニャンになろうにも、長い剣を保有することが禁じられている。唯一貧乏というところくらいがおれとダルタニャンの共通点だ。アトス、神のような男よ、貴族の栄華よ、おれは貴公を模範に生きたいと考えている。ポルトス、無敵の獅子よ、おれは貴公のように快活に暮らし、豪快に死にたいと考えている。
 おれはナイフを常に内ポケットに忍ばせておくべきではないだろうか。それだけで選択肢は増える。おれの行動の選択肢は。おれは自分が自覚している以上に自殺に近い位置にいる。だが、殺人からは遠ざけられている。おれとしては、自殺よりも殺人のほうが罪が軽いと思う。だれがそれを判定するのか? おれだ、おれ自身以外にだれがいるというのか?