癇癪について 2017/5/6 Ⅱ

 おれは幼少期から相当な癇癪持ちだった。教科書を破いたり喧嘩のうさばらしに昆虫を虐殺したり、むしゃくしゃしてアスファルトにわざと頭突きをくれて大きなたんこぶをこしらえたり、母親の前で屋根によじ登って狂言自殺を図ってみたりと、いろいろな蛮行をやった。歳をとってからはだいぶ落ちついて、少なくとも物に当たったり人に怒声を浴びせたりということはまったくと言っていいほどなくなった。幾分かはおれが後天的に身につけた臆病さ、慎重さの功徳かもしれない。仲間うちでは、おれは相当に温厚な男として通っているはずだ。しかし、おれの心のうちではまだ癇癪の虫は生き生きしていて、しばしばとてつもない考えにおれを押し流すことがある。
 きょうはおのずからこんな妄想がおれの心の中に展開された。
 おれは休日、おれなりの過激パンク・ファッションに身を包んでいる(と、いっても、実に可愛いらしいものだが)。ささやかな商人社会へのプロテストというわけだ。で、きょうは用事があって会社の近くまで行かなければいけないということになっている。さてここで会社の上長に会ったらどうなることだろう。
上長「おいお前、お前東野猛じゃないか!」
おれ「あ、はい。いいお日柄、いい塩梅ですね」
上長「お前なんだその服装は」
おれ「服装? ああこれですか。休日用の私服なんですがね」
上長「なんて格好だ。一体全体ふざけてやがる」
おれ「そりゃ休日ですからね、ふざけてみたくもなるんです」
上長「あのな、東野。お前はいまどこの企業に勤めている? 言ってみろ」
おれ「そりゃあなた、おれはけなげに、懸命にあなたの下で働いていますよ。●●株式会社で」
上長「そう、その●●株式会社だ。●●業界の最先端を走る新進気鋭の組織だ」
おれ「そうですな」
上長「●●業界で働く者が! そんな反社会的な格好をして許されると思っているのか?」
おれ「許される? 許す、許されるとは、いったい誰に? 誰が? きょうは休日、おれはおれの、おれだけの時間、おれだけの人生を、自由気ままに過ごしているんですぜ」
上長「自由の意味をはき違えるな! お前は●●株式会社の一員であり、常に、●●業界の一代表者でもあるんだ。社会通念上、ふさわしい生活態度というものがあるだろう」
おれ「なんですかい、つまり、おれが●●業界の●●株式会社に勤めている限り、休日であろうがなかろうが、好きな服を着るのにも世間様のご機嫌をいちいち伺わなきゃならないんですかね?」
上長「そうだ」
おれ「思い出しましたよ。そういやだいぶ前に、学校の教師が休日にロリータファッションをしているってんで、保護者から批判されたって記事がありました」
上長「もっともな記事じゃないか。私の言いたいのはそういうことだ」
おれ「……なるほど(この辺から癇癪の虫が腹の中を躍動しはじめる)」
上長「まともな私服を身につけろ。その腐りきった根性を直せ。態度が悪い。反吐が出る」
おれ「うん。どうもあなたの言っていることはいちいちごもっともだ」
上長「このことは経営陣にも報告する」
おれ「そうされるのがいいでしょう。おれも反省します」
 上長は去る。
 そしておれはおもむろに服を脱ぎ捨て、破り、ライターでもって着火する。パンク・ファッションは燃え尽き、灰になる。下着姿になったおれは電車に飛び乗り、部屋に帰る。部屋に置いてある●●業界関連書籍、業界関連物品以外のものすべてをゴミ袋に放り込み、さっさとゴミ捨て場に出してしまう。部屋はモデルルームみたいにさっぱりするだろう。
 おれは親に電話する。親は●●業界の者ではない。おれは電話越しに言うだろう。「転職をしろ。●●業界に。およそ人間と生まれたからには●●業界の●●株式会社以外に所属するなんて言語道断、非道の振る舞いと言わなきゃならない」。親はおれをついに狂うたかと思うだろう。おれは仕事用の服をぴっしりと着込んで電車に飛び乗り実家に帰る。実家では親と兄弟が待ちかまえている。おれの突然の帰省に仰天した家族の言葉を聞くまでもなく、おれは家族を惨殺する。なぜなら彼らは●●業界に身をおいていないからだ。上長の言葉からおれは適切な行動を推量し、結論し、それを粛々と、いや、情熱をもって実行する。
 おれは実家に保管してある猟銃をもって街へ出る。「●●業界に携わらない者は出(いで)ませい! ●●業界に身を置かずんば人にあらず! 皆殺しだ!」。声の限りに叫ぶおれ。猟銃から放たれる散弾。弾の尽きるまでおれは人々を虐殺する。血塗れのままおれは街を出る。電車に飛び乗って●●株式会社の本社に乗り込む。休日であるから上長はいない。おれは上長の住所を把握している。おれは上長の家に押し掛ける。腰にはやはり実家から持ち出した日本刀を帯びている。
 鮮血で真っ赤に染まったおれを見て、日本刀を見て、上長は腰を抜かすだろう。おれはニヤリと笑い言ってやるのだ。「●●株式会社万歳! ●●業界万歳! おれは●●株式会社第一の尖兵であり上長●●様の忠実なる下僕! その使命をごくごく立派に果たして見せましたぜ!」。それから事の顛末を上長に打ち明けるだろう。上長は警察を呼ぶ。おれはそれを●●株式会社、●●業界、及び上長自身がかつて発した言葉への裏切りと捉え激高し、最後には一太刀で上長を斬り殺してしまうのだ!
「あまりに無責任! いまになって前言を撤回するとは! おれはもう引き返せないところまで来てしまった! おれは破滅じゃないか! おれはただあなたの期待に応えようとしただけなのだ。そりゃ多少はやり過ぎたかもしれんが、手段は強引だったかもしれんが、あんたの言いたかったのは、あんたの実現したかったのはつまりこういう状況じゃなかったのか!」
 おれのかけがえのない恩人である●●も、かつてバイト先でクレーマーに罵詈雑言を浴びせられた際、過剰に反応して号泣しながら土下座の謝罪を敢行したという。その気持ちがおれにはよく分かる。相手が理不尽であれば、その理不尽さを徹底して相手をとことんまで困らせ共に破滅してしまいたいという欲望が、癇癪が、むらむらと沸き立ってくる瞬間がしばしばあるものだ。この感覚をもつ人とおれは友人になりたい。いや、おれは既にそんな友人に恵まれている。幸福なことだ。
 吐き気がするぜ。全員嫌いだぜ。くそったれな世の中だぜ。おれが支配をしてやりたいぜ。やがて世界をおれが支配をする、これすなわち争いを経るってことになる。世の中におれがある限り戦争は終わらない。戦争を根絶したければおれを殺さなくてはならない。おれを殺すための戦争を起こそう。第三次世界大戦だ。