メンヘラについて 2017/5/10

 きょうは朝カフェインをバチコンぶちこんで起きたが寝覚めはイマイチだった。バナナをおよそ8本ほど食らう。それからエチゾラムジアゼパムスルピリドとを飲み下す。どうしたわけか気分がよかった。おれはそれほど気分の波が激しくない(と自分では思っている)。だから踊り狂いたくて仕方がないとか、誰彼かまわずにLINE通話をかけるとか、そういった奇行を犯すほどハイだったわけではない。それでもなんとなく機嫌はよかった。しかしきょうもきょうとておれを待ち受ける苦役はファキゴナファッキンファックだ。イヤホンを持たずに家を出た。ファキゴナ満員電車のなかでは『寺田寅彦随筆集第2巻』を読む。イヤホンを持たないと読書が捗るからよい。おれは定期的に古典を読まないと息が詰まる。現代人を相手にして、現代人と同じ空気を呼吸して、現代人の価値観に染まってしまったらアレルギーで死んでしまう体質である。電車は遅延した。バイト先の待ち合わせには遅刻した。それでも相手はいわゆる「後輩」であったから特段責められるということはない。これが相手が「先輩」であったら大顰蹙だったところだ。こういうところにおれは気分の悪さを感じる。可視化されざる僭主=奴隷関係に怖気を覚える。――決して、遅刻して、怒鳴られたかったわけではないが。
 おれはバイト先での出来事をなるべくおれのこの日記のなかに文章の形で残したいとは思っていない。おれにとってこの苦役は8時間の人生を切り売りし日銭を稼ぐだけの意義しかもたない。ここで人生の師を見いだすとか、なにか哲学上の啓示を得ようなどという欲はまったくない。ただ、粛々と、与えられた課題を片づけるだけだ。言語と精神の鞭でビシバシ叩かれるのを飄々と避けることにのみ関心を向けている。それでもおれは世間で言うであろうところの「十分」に「満足」に適応することはできていない。だからおれはエチゾラムを飲む。ジアゼパムを飲む。スルピリドを飲む。パロキセチンを飲む。ゾルピデムを飲む。リスペリドンを飲む。薬漬けの逃避行だ。ドラッグフリーの強盗団だ。
 おれはメンヘラではない。厳密な定義で言うところのメンヘラではあるのかもしれないがおれの自覚としては、絶対にメンヘラとは対極の位置に暮らしている。おれはしたたかに、巧みに、ドラッグを用いる。あくまで過酷で浅薄な現代をサヴァイヴするためのレーションとして、これらの可愛い錠剤を飲み込む。おれは生まれる時代をちょっと間違えた。剣とピストルの時代、貴族と決闘の時代に生まれなかったことを悔やむ。そのちょっとの間違いを微妙に修正し、やがて死すべき生命をなんとか長引かせるために、マイナートランキライザーやらメジャートランキライザーやらSSRIやらに頼っているのだ。それらを購入する金子もまた苦役の果実から生み出されるのだと考えるとどうも、現代という奴にしてやられている感覚はある。が、そこまで強い被害者意識を抱いているわけではない。あくまでおれはおれだ。おれが間違えたのだ。現代人は勝手に生きて死ぬがよい。おれも勝手にやらせてもらう。おれの精神はドラッグフリーの開放的なコミューンを形成しており、「奴隷」ではなく「人間」であれば誰でも歓迎している。
 おれの愛剣バリザルドに誓おう。――おれは勝利する。あるいはさっさと死ぬ。劣勢を長引かせるつもりはさらさらない。現代との戦争においておれは、怒れるアキレウスであり流浪のオデュッセウスであり、誇り高きラ・フェール伯爵であり、大元帥ダルタニャンなのだ。