過去日記 2015/6/18

 どうしたら私は卓越した人間になることができるか。そして卓越する必要がどこにあるのかという問題。
 卓越した人間というのは真に優れた人々から評価され、望んだ富をある程度手に入れて幸運な生活を送ることのできる人間というのがおおざっぱな解釈だとする。並外れた革命家、半神の戦士ではなく。私は卓越した人間になりたい。これは我欲だろうか。これは持つべきでない欲求であり、必要のないあこがれだろうか。まず第一に私はサラリーマン労働をしたくない。そんなことをするくらいなら死んだ方がマシだというくらいにやりたくない。自殺を考えてしまう。なんだサラリーマンって。信じられない。どうして隷従がこんなににこやかで健全なものとしてまかり通っているんだ。どうして大半の人間がサラリーマンになってにこにこしているんだ。視野の狭い私には、このサラリーマン労働へのベルトコンベアー式潮流から逃れるためには人よりもずば抜けて優れた才能を発揮しなくてはいけないように思われる。サラリーマンになる人間の気持ちも実は分かる。そこから十分な蜜を得ているからこそにこにこしていられるということは確かだ。いくら見下そうがバカにしようが、人間は人間、私と同じ感覚器官を持つ連中のことだから、私が不快に感じることに快感を見いだしたりなどはしていない。隷従の代わりにそれを補ってあまりある蜜を得ていることは確かだ。それはなにか? まず必要とされているという安心感。曲がりなりにもなんらかの技術、仕事の技法が身についていくという自信。社会的な地位(周りがみんなサラリーマンならサラリーマンになることが心地よい交友を可能にするというのは明らかだ。もし生まれた階層がサラリーマン階級ならそうだ。貴族だったら商人に身を落とそうなどとは思いもよらないだろうが)。意地悪なことを言うと、サラリーマンこそが普遍的な人間のあり方とさえ思っている節があるのではないか。ニンジャスレイヤーじみているが(ニンジャスレイヤーはすばらしい作品である。単なる滑稽な娯楽ノベルにとどまらず、鋭い批判精神と人間観、世界観、宇宙観が秘められている)、実際そうとしか思われないところがある。私がサラリーマン労働を嫌う大きな理由の一つは、そうした人間と人生の大半を過ごさなくてはいけないという絶望感にある。でも人間づきあいがなかったとしても、誰ともしゃべらずひたすら単純作業に従事するなんてのも最悪だ。とにかく幸運とも不運ともとれる時代に私は生まれた。一〇〇〇〇年後に生まれていればもっと楽しい環境だったかもしれない。二〇〇〇年前に生まれていればもっと過酷な環境だったかもしれない。それは分からないし、過去はもっと厳しかったのだから現代の厳しさには文句一つ言わず耐えろというのは詭弁にすぎない。とにかく知覚機能、それを魂と言い換えてもいいが、を授かったのはこの時代のこの時間においてなのだ。さてこの時代においてやることといったらなにか? 哲学か? 哲学だ。即物的な欲望に基づく野望を捨てて哲学をしよう。どの時代に生まれたとしても、やるべきことは哲学だ。哲学とサラリーマンとしての隷従生活は両立できない。これは絶対その通りだ。そうできるようになってはいないのだから。サラリーマンとしての隷従生活および他のあらゆる隷従生活から脱却するにはどうしたらいいか? 卓越した才覚、能力を発揮し、今こそ失われた人間としての高貴さを取り戻すことだ。それは名誉と富と教養を身に備えるということだ。そのためには具体的になにをすべきか? 宝くじ。神のみぞ知る。作家業として一発当てる。これはやる価値がある。盗み。リスク。サラリーマンやって貯金。バカな。貴重な時間を捨ててなにをしようというのだ。サラリーマンが憎い。どうしてだ。子供じみた憎しみかもしれないこれは。分からない。愚鈍なサラリーマンが憎い。隷従を自覚し、為すべきことを把握しているサラリーマンならまだしも、サラリーマンの身分でありながら己の境遇に満足し、つまらない技術と仲間づきあいを誇りにしてにこやかに死んでいく連中が憎い。一人にこやかに死んでいく奴はまだしも、そうした誤ったやり方を子供たちに継承するのは悪い。●●の教育係みたいな奴のことだよ。人の独身をバカにするわけではないが、独身なら独身なりの生き方というものがあろうに、あやつ、独身のくせして古典を友とせず、隷従と鉄鎖を誇りにしながら、周りに追従者をはべらせて死んでいくのだ。なんてことだ。なんなんだこの闘志は。害意は。あんまりこんな子供じみた狂気じみたことを書きたくはないのだが、日記にものごとを隠し立てしても仕方ない。書かざるを得ない。どうしてあんな野郎を崇める教団が成り立つんだ。あの野郎が一人でへんてこな踊りを踊っているならいいが、どうして追従者が現れるんだ。隷従を自覚している奴は上出来だ。それが正しい。ともすれば私もそういう仲間に加わるかもしれない。戦いに敗れて。
 とにかくさんざんに破れるまでは、私にも戦場へ赴く機会はあるわけだ。そして今まさにその戦場に立っているのじゃないだろうか。サラリーマンという巧みに隠蔽された隷従制度から抜け出すには、卓越した人間になるしかない。これは徒な欲ではなく、哲学のために、理想の生活のために必要な勝利である。考えてみれば●●のあの奴隷だって、戦いに敗れあの境遇に身を落とし、心身ともに質に入れてしまったと考えられなくもない。勝者は経営者、大商人だ。私は勝者を憎むのではなく、勝者を素直にたたえたい。たくさんの富を手に入れて、優雅で高貴な人間にふさわしい生活を送っていることだろう。それを素直に祝福したい。私は敗者のなかでも、敗北に馴れ敗北の思想を喧伝する奴隷の中の奴隷を憎む。当の私はこれからどうするのか。書け! 戦え! 書け! 戦え!