読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

2017/5/17

 熱を計ったら37度。感冒だ。金パブを3包服用する。本当なら苦役を休みたいところだがおれはもう今年度始まってすぐに有給休暇を使い切ってしまったので、それが許されない。昨日はメンタルクリニックを受診した。日に3回飲んでいたエチゾラムがなくなり、代わりにジアゼパムが1日3回の服用となった。また下剤の処方がなくなった。相変わらずリスペリドンの処方は続いている。帰りの電車のなかでリスペリドンの液体を啜る。精神がフラットになった、気がする。正直なところ劇的な薬効を感じられるわけではない。おれの周囲にたむろする大衆も、医師も、友人も、おれを見て「元気がない」と言う。おれはさほど自覚症状がないがそういうことなのだろう。元気はないのだ。ある瞬間におれは何でもやり遂げられそうな気分になる、かと思えば大した仕事も出来ずにこのままルーザーの短い生涯を暮らすはめになりそうな気もしてくる。おれの友人たちは本当によくやっている。おれだけはどうしても成功が見えてこない。あるいは成功のために人の数倍の時間を要する気がする。おれには才能がない、根気がない、どうしようもない。うだつがあがらない。友人たちを観察すると、3年くらい苦役に服してそれから独立している傾向がある。となれば、まだまだおれも焦る必要はないのかもしれない。だが耐えられないのだ、3年! 長い。苦役で心身を消耗する年月、3年は長い。しかし3年間1つのことに集中して取り組めばある程度の結果を出すことは可能だという見方は、経験的に確からしく思える。たとえば部活なんかがそうだ。おれは中学生の頃卓球部だったが、はじめのころは壁打ちも出来なかったのに3年も継続すれば大会で少しは勝てるくらいになった。まったくの未経験から始めて、部内でトップクラスの実力を誇る人間になれた。あるいは受験でもそうだ。おれは初め偏差値30だったが、2、3年勉学に取り組んで偏差値は70を突破した。校内の偏差値では100(!)を超えていた。いま直面している問題は、つまり、3年に達するまでに、おれが健康を害したり首吊りを決心したりしてしまわないかということだ。なるほど物事に継続的に取り組めば、ある程度の結果を出すくらいの素質はおれにも備わっているように思う。卓抜したものではないかもしれないが、人並みないしは人並みよりちょっと下くらいの才は有している。だが、やはり、いまの環境の過酷なこと(おれにとって過酷というだけで、他の人からしたらとても心地よい環境であるということもありえる。おれの周囲の連中はおれと違ってにこやかに苦役に励んでいる。理解は不可能だが、事実はそうなっている)には困ってしまう。貧困のゆえに逃げ出すわけにはいかない。いちおう衣食住を満たし、ごくごくわずかな余暇を得ることはできている。それでも辛いものは辛いのだ。1年くらい俗世を離れ入院してみたいものだ。明治時代くらいには若者の長期の療養など当たり前に行われていた。平成の世ではそうはいかない。結論、休暇の代わりに発明されたマイナートランキライザーを服用しながら、一気にこの厳しい季節を駆け抜けるしかないのだ。

f:id:goemon0728:20170517073000j:image
 白メダカと青メダカを飼おうと思う。こないだ店で彼らを目撃してからやっぱりどうしても欲しくなってしまった。1匹200円の連中を8匹くらい購入する。水槽をあと2つ追加する必要がある。これくらいの出費なら1回の飲み代にも満たないほどわずかなものだ。だがどうしたわけか、とんでもない贅沢のように思われて罪悪感がむらむらと湧いてくる。たとえばおれは1回の食事に500円も使うのに罪悪感、後悔を覚えるが、そのくせ500円前後のタバコを買うのには躊躇しない。どういう心理の働きなのだろう。刹那的な娯楽に使う金には糸目をつけないのに、実用的実際的に有用なものへの出費に慎重を期するおれの性格は、今後おれを破滅に導く可能性があるから注意しよう。
 さて、発熱があり咳が止まらず、喉も痛くて鼻水がとめどなく溢れるが、苦役に赴くとしようではないか。我働かんかな! せいぜいきょうも隙を見ては怠業に勤しみ、おれのビズを効率的、創造的なものとするヒントを考案するのだ。おれはなんとかきょうも戦ってみる。諸君も達者でやってくれ。東京オリンピックくらいまでにはなんとか、高貴な生を取り戻せるよう努力しようではないか。