文才について 2017/5/25

 昨晩フルニトラゼパム1mgとゾルピデム両方キメたのに、きょうも早朝覚醒してしまった。二度寝したけれども浅い睡眠は不快なだけだ。
 昨晩苦役終わりにコンビニで金を下ろした。残高4万もあれば御の字と考えていたがどうしたわけか6万円近く入っていた。おそらく前月分のカードの引き落とし額が小さかったのだろう。得をしたわけでもないが気分がよくなる。気分良く1万円の現金を手にした。これでなんとか今月はやっていかれる。
 今月はだいたい1万5千文字くらいで物語のあらすじを作成する。当初の予定では1千文字あらすじをつくってから5万文字の詳細プロットを作成する予定だったが、デッドラインも迫ってきているのである程度省略できる作業は省略していかなくてはならない。そのために作品のクオリティが下がっては困るが、それでも何も完成しない、0のまま何も進まないよりかはずっとマシだ。
 せっかくプリンターを購入したのにこれを活用できていないのは悲しいことだ。あらすじを作成したら印刷してこれをちらちら参照しながら清書にとりかかることにしよう。また生活の技法、ライフハックやおれの気に入った文言などを古典中に見つけたらこれを印刷して壁に貼ろう。カラーのインクも使い道がないことだし、何らかの絵画を印刷して飾るのも一興かもしれない。100円の額縁に入れればそれなりに見れるインテリアになるだろう。
 おれは友人たちから「文才がある」と言われるがまったくのお世辞だ。おれに文才などあってたまるか。謙遜ではない、本当におれは文章がへたくそでどうしようもない。大学時代ゼミでも教授に指摘されたことだ。同じ意味の形容詞と副詞を重複して用いたり、ややこしい言い回しでリーダビリティを損ねたりと、おれの書くものはさんざんな出来になる。
 おれには取り柄らしいものがひとつも見あたらない。人から取り柄と思われる部分は、おれにとってはある種の抑圧の結果だったり、何か悪徳の副産物だったりする。
 文章を電車内で書いているとあっという間に時間が過ぎる。電車を乗り過ごしそうになる。電車が走行し、また停車する間隔がまったく知覚できなくなる。車内アナウンスも頭に入ってこない。
 怠業する。駅でたばこを吸う。おれの苦役先には正式な労働組合がない。ところがどっこいおれひとりが労働組合だ、ワンマンアーミーだ。しかもなかなか手のつけられない厄介なやつだ。サボタージュストライキ、なんでもござれ、定時も勝手に設定して、夕方になった途端おれは苦役の手を止める。そうしてぼうっとしながら、夜の行動予定など練っている。苦しい時期だ。おれの短い人生の、若いこの貴重なひとときを苦役などに投じて悔しいばかりだ。これというのもすべて貧困が悪い。貧困の原因は先祖にある。なにが先祖崇拝だ、親孝行だ、爵位のひとつも手に入れなかったくせに。領地のひとつも守れなかったくせに。おれは無一文のまま放り出されてこの体たらく、まるでシステムの歯車として生かされるために産まれてきたようなものじゃないか。おれは断固プロテストしてやる。あるいは英雄の死を選択する。拒絶、拒絶、拒絶。拒んで拒んで拒み尽くしてやる。満員電車のなか、40、50のおっさんが、おそらくは20くらいから1日8時間9時間10時間労働を続けてすっかり老けたのを見るのは実に不快だ。たぶん30手前あたりで結婚とかしちまったんだろう。「女子供のために奴隷になることを選択した英雄」。ご苦労。おれはそうなる前に死ぬぜ。恋の成就と奴隷の身分は不可分ってわけかい。ばからしいや。何が恋だ。
 朝にリスペリドンをキメるのは非常によろしくない。何も手につかなくなる。精神がフラットになるのはいいが、しかし、やる気なんてものは微塵もなくなってしまう。眠気も襲い来る。統合失調症の患者はこれを飲んで社会生活を送っているのだというから妙だ。おれにはとてもそんな真似ができない。昨日朝にキメたリスペリドンは失敗だった。金パブで誤魔化そうとしたがそれでもダメだった。カフェインがぶ飲みも意味がない。おれはその気もないのにやむをえず怠業を敢行してしまった。
 もうダメだ、おれは潔癖ではない。怠業の件も薬もそうだが、数々の法律を破って生きている。世間一般の商業的メッセージ、健全さを装った「クリスマス」だの「旅行」だのといったものがまるで他人事に感じられる。それらはきっと一度も法律を破った実感のない、健康な人たちに向けられたものだ。おれのような無頼漢はメッセージの宛先から除外されている。だから街を歩くと余計に孤独感が増すのではないか。ではいまから心を入れ替えて、システムの歯車としてピカピカの兵隊になるか? さっぱりゴメンだ! 無理だ! 無茶だ! そいつは人間の生じゃないだろ!