帰宅について 2017/5/31 Ⅲ

 きょうは効率よく怠業を行い、考え得る限りもっとも早い時間に出張先から帰宅することに成功している。まずはコーラで祝杯を上げる。苦役先から支払われた交通費も800円ほどごまかして懐に納めた。惨めな奴隷の、プロレタリアートの大戦果である。
 小銭で一喜一憂して、実に惨めである。
 おれが欲しいのはまとまった財産だ。
 以前の苦役先にも、前の苦役先にも、27、28くらいの男が新人で入ってきていた。おれはまだ24だ。あと3年は世間一般の基準からしてもふらふらしていていいのだ。それをこんな苦役に身をやつして、まったく、貧困というやつは厄介極まりない。3年間遊び暮らす金があればおれはビズを捗らせてなんとか一財産つくれる気がするんだが。
 東北は案外暑かった。苦役の方はおサムい限りだ。大衆の相手をしなくちゃならないんだから。商人に使役される身分の卑しい奴がマウンティングしてくる。抜剣したいという欲望がムラムラ湧いてくる。それをなんとか耐えてきょうも「一般人」を演じきる。きょうも狂人にならずに終わった。まったくおサムい限りだ。さっさと時が来て、ひとかどの狂人ぶりを見せつけてやりたいものだ。そうしておれは商人社会を去る。おれはディオゲネスエピクロスの生活を送る。
「資本家殺すにゃ刃物は要らぬ。皆が働かなけりゃいい」
 おれには世間一般の基準から言っても3、4年の猶予が残っているし、世間などいっさい気にしないなら猶予は死ぬまで、10年20年とたっぷりある。それまでになんとか財産を形成して人生をアガるのだ。
 車窓から人をバカにしたような東北の風景がなだれ込んでくる。偉そうな田畑だ。偉そうな人家だ。いっちょ前の電柱だ。くたびれた軽トラがおれをせせら笑う。住宅の密集地帯は見ていて気持ちが悪い。蛆がわいているみたいだ。雲のかかった太陽だけがおれをじっと、無言で追いかけてくる。「洋服の青山」のどでかい看板がおれをニヤつかせた。
 なぜ大衆は「働かなくても食える世界」をもっとずっと積極的に目指さないのか。生粋のマゾヒストなのか。それとも暇を楽しむ方法を知らないのか。あるいは苦役が楽しくて仕方がないのか。道徳的に「働かずに食う」のは間違っているという認識が、彼らのなかで醸成されている、そんな気がおれにはする。どこの倫理教師がそんなこと教え込みやがったんだ。金のためにあくせくしない。政治に参加する。哲学に関わる。それが「生」じゃないのか。魂に銅を埋め込まれているから連中はもう救いようがないのかもな。おれたち魂に黄金を秘めた者たちは、もう勝手にやっていこうや。
 次に車内販売が通ったらビール買うつもりだ。バッコスを頼もう。
 おれにはどうも、商売なんかは禁止するのがいいと思われる。おれが僭主だったら商売は禁じる。生産と消費を管理し、皆が暇を持つよう取りはからう。余暇の最大化こそがおれのテーマだ。大衆は暇に苦しむステージに上らなくてはいけない。古の賢者たちは暇を最大限楽しむ術の専門家だ。おのずと大衆の目は賢者たちに向けられる。それでいい。
 そういやきょうは給料日だ。錦糸町総武線快速を降りて各駅停車で亀戸に行き、りそな銀行で金を下ろす必要がある。いや、必要ないか。明日の昼でも一向構わんか。通帳を持参する必要はある。記帳しなくちゃならない。しばらくやっていない。おれはいまいちおれの小銭の出入りを把握していない。ダメだ、きょうだ。きょう金を手に入れよう。明日は何か悪い日になる気がする。気に入らないことが起こりそうだ。予感がする。明日はくそったれだ。6月1日は恐ろしい。よく分からないが、明日はどうもいけない。いけない気がしてきた。
 もうダメだ。酒神に頼らなくっちゃダメだ。早く、車内販売よ来い。
 帰宅ってのはいいもんだ。家に帰れるんだから。家に帰ったら安らぎと楽しみがたくさんある。大衆は除外されている。システムはそうそう入り込んでこない。布団がある、メダカがある、たばこがある、水がある、剣がある、パソコンがある、食事がある、何でもある。裸になってもいいのだ。歌を歌ってもいいのだ。全ての奇行が見咎められない。人の目がないのはいいことだ。「常識」のメガネを通した視線なんてくそったれだ。見るな、見るな。
 車内販売が来る気配がない。大宮に到着してしまった。もう来ないだろう。バッコスはおあずけだ。ドラッグの持ち合わせもエチゾラムしかない。エチゾラムじゃ物足りない。パッとイきたい気分だ。メンソールのたばこをキメたい。
 ダメだ。ついに来なかった。バッコス抜きでやれってか。

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 と、書いた瞬間に車内販売ワゴン来た。見た。買った。アサヒスーパードライ。旨い。こりゃいいや。脳内にモーツァルト後宮からの逃走』の勇壮な二重唱が流れる。Vivat バッコス! アッラーなんて知るか。飲め飲めオスミン。愉快にやろうや。
 アー、いい。
 そうだ、アルコールは降霊、降神にこそ用いられるべきだ。苦役の飲み会なんざありゃ茶番もいいとこ、バッコスへの冒涜だ。こうだ、こうあるべきだ。いいぞ、耳鳴りがしてきた。いいぞ。30世紀の流行歌。
 ビールが旨い。結構だ。健康だ。安泰だ。そんなこんなで上野だ。上野出たら5分で東京だ。帰ろ帰ろ、おうちへ帰ろ。
 新幹線降りたらメンソールのたばこを吸うぞ。