予期不安について 2017/6/12

 ビズが進まない。友人が毎日訪ねてきて楽しくなってしまう。おれは一人で黙々と作業することができない。黙々と作業しなくちゃならない。黙々、という言葉にストイックの響きが混入するがストイックになる必要はない。要は【母数】を増やせばいいのだ。ビズに取りかかる弾数を増やしさえすれば、結果はおのずからついてくる。
 きょうは朝食に朝マックのソーセージエッグマフィンをキメた。飲み物はアイスコーヒー。服薬はスルピリドリボトリール。体調は比較的良好。精神状態も同様。おれは鬱病ではないから、朝調子が悪くて昼から夕にかけて調子が上がってくる傾向からは外れている。どちらかと言えば夕方のほうがヒステリー球が出て来て辛いのである。朝は調子の良い時が多い。15時頃が鬼門である。
 地球には無数の人間がいて、おれが出会っているのはその中でもごくわずかの人種のみである。ゆえにおれと直接の関係のある人間から、すべての人間についての法則を見いだそうとするのには相当の注意が必要になる。ともすれば簡単に誤謬に陥るだろう。おれが大衆だのと蔑称をもって呼んでいる連中も地球上にはわずかしか生息していない。おれが大衆と呼ぶのは日本人で、東京にいて、サラリーマンをやっていて、よく「日本の義務教育」が行き届いていて、といったような条件を満たすごくごく少数の絶滅危惧種に過ぎない。おれが人間全体について悲観するにはまだまだ研究材料の不足が著しい。
 ビズについても同じだ。サルにタイプライターを持たせて無限の時を過ごさせれば、いつかは『オセロー』を書き上げるだろう。その可能性はゼロではない。ゆえにおれもサルのごとくバチバチとキーボードを叩くのだ。偶然と必然のカフェ・オレがおれをいつか成功に導く。【母数】を増やすことが大事だ。弾数を増やすことが肝要だ。
 不安は健全な心の動きだ。しかし実際、事に取りかかってみると予期していた不安の10分の1くらいの労力で難事は済んでしまう。だからおれは普段、実際に起こる事よりも10倍の要らぬ心配をしているのだ。ここまで不安が増大すると健全の域をはみ出してくる。もっと意図的に不安を減らしてみよう。だいたいの物事は手癖で片づけられる。うんうん唸って全身を疲労させることはない。
 おれはおれが思っているより真面目過ぎるのではないか。100年経てば街を歩く人々はみな入れ替わる。おれは誰に気に入られようとしているのだろう? 命死すべき商人風情? バカな。
 計画を立てよう。無理のない計画を立てよう。デッドラインはまだまだ先にある。トライアンドエラーを重ねる時期はいまだ。トライアンドエラーを繰り返すため、計画を立てよう。くだらないことで焦る必要はない。ビビることはない。
 おれの所属している一会社だけに適用されることかもしれないが、少なくともおれの観察の結果、「年齢を重ねるごとに苦役は楽になる」という法則があるように思う。若い者はつまらないことで一々お上のご機嫌を伺わなくてはいけないが、老いればその必要はなくなる。誰もが(根拠のない)敬意を持って接してくるようになる。いくら仕事の責任が重くとも、精神的にはずっと楽だ。オフィスに居座るのが楽しくなるだろう。老いた者は幸福だ。若い者は苦難を味わう。先輩・後輩制度。おれのもっとも嫌うものの一つだ。おれは苦難を味わっている。しかし不安を抱くな。それらは、すべての精算を済ます時、きっとあらかじめ考えていたのよりずっと軽いものであったと気づく。予期していたのより10分の1の苦労だったな、としみじみ思うだろう。予期不安そのものは健康な防御反応だが、それが強すぎると支障をきたす。覚えておこう。
 あとは古典を読むことだ。インプットせよ、インプットあるのみだ。生まれの不幸からしておれは脳に蓄えた情報量が乏しい。上坂すみれを見よ。生まれの違いから、教養に差が生じる。自明のことだ。それをカバーするのが古典の渉猟だ。おれはトンマ扱いされようがなにされようが、古典だけは読み続けよう。路上生活者になっても岩波文庫一冊だけは懐に忍ばせて地上を這おう。