忘我について 2017/6/12 Ⅱ

 出勤をする。来客室で新卒説明会をやっている。おれは気分が悪くなる。どうしてか。おれはいまの会社に半分騙される形で入った。「ふつう、新卒はジョブローテーションで転勤がありますが、あなたは特別に部署Aに配属です」と言われて入社を決めた。転勤などないものと考えていたがいざ入社したらそうではなかった。おれのところの新卒説明会は欺瞞だ。もちろん「あなたが特別に部署Aに配属です」とは言ったが、「転勤はありません」とは言っていない、だから騙されたなどと考えられるのはとばっちりだ、という企業の言い分も分かる。が、誤解を招くようにして入社を誘ったそのやり口がおれは好きではない。
 いずれにせよ、関係のないことだ。いまさらそんなことを考えてイライラしていたって仕方がない。辞める辞めないの自由は労働者側にある。つまるところおれがビズを立ち上げれば全て丸く収まるストレス、確執なのだ。
 おれは普段からちょっとくらい酒に酔っておいたほうがいい。その方がビズも手につく。真面目すぎるのだ、お前は。
 忘我の境地に暮らすことが大事だと気づいた。特に苦役中はそうだ。おれのビズのことに頭を悩ませててもいいし、それができないなら苦役に集中していてもいい。どちらにせよ周りが目に入らなくなるくらいのコンセントレーションを保っていれば、無駄にくよくよする時間が減る。それだけおれは健康でいられる。サボタージュするよりもむしろ苦役に積極的に参画するほうが精神衛生上よろしいらしい。矛盾するようだがそうでもない。苦役に集中していればそれだけ精神の鞭で叩かれる心配もなくなるわけだから、ストレスはおのずと減じることになる。おれのビズに熱中するならば、それは大いなる前進として誇らしさを覚える。とにかく周囲を見るな。目の前のタスクのみをやっつけろ。それはもしかしたら人間というよりもむしろ昆虫に近い生き方かもしれない。それが適応、ということかもしれない。でも1日9時間は仕方がない。9時間は昆虫にならなければ、おれはおれの衣食住を維持していられない。おれの人生のたった一時期のことだ。辛抱して昆虫になろう。いや、辛抱しないことを選択した結果、昆虫になるのが一番良いことに気づいた、と言ったほうが正確かもしれない。なんだかんだ、ずっと戦闘的な気分でいるのは疲れるものだ。それだったら「体力気力を休めるために」苦役に身を投じてしまったほうが良い。おれの苦役はブルーカラーに比べたらたいした労働量ではないのだ。疲れなんてたまらない。むしろ周囲を気にしながらサボタージュを敢行している時が一番疲れる。
 そして古典だ。いつもおれの心に古典を持て。ファリア司祭は古典を150冊まるまる暗記していた。それを時に応じて思い出したりなどできれば、これほど退屈の苦しみから解放された人間はいないというほどの者が出来上がる。おれは一時は昆虫でいよう。あとは古典の仙郷に生きていよう。それからちょっとばかしビズをしよう。24、25くらいまではこの生き方だ。もっともなにか爆弾でも落ちて暮らしがいつ一変しないとも限らない世の中だから、とにかく、気楽にいこう。抱くのは、いつもの10分の1の不安だけでいい。