帰路について 2017/6/12 Ⅳ

 苦役が終わってもヒステリー球が残っている。自律神経はどうもセルフ・コントロールが利かなくていけない。一日の労働の終わりだ、もっと喜べばいいのに。それともあれか、苦役が終わった後の、おれ自身のビズがお前にとっての重荷なのか。その可能性は完全には否めない。成功しなくてはならないというプレッシャーと、おれの稚拙な文章への嫌悪がない交ぜになって、おれは酷く苦しむ。酒でも一杯やりたい気分だ。ちょうどいいところにくおん嬢からリプライでお誘いが来ている。と、思ったら他の小人さんがさっそくくおん嬢をかっさらっていくらしい。もう品川からアキバへ行くための山手線に乗ってしまった。いま浜松町だ。どうもうまくいかない。なにもかも繋がっていかない。男の性だ、仕方がない、おれはこのままアキバへ行くのだろうな。
 おれにはどうも気概が足りていないようだ。本当にビズで成功したいなら、もっと、こう、上手くいくはずなんだ。行動よりも先に思考が来るようでは遅い。気づいたら行動しているくらいでないと。そのくらいの忘我の境地に陥ってみたい。いま有楽町。
 おれは自分で気づいている。ごまかし無しに、おれは、書かずには生きていかれない人種だ。書くこと、表現することに無上の喜びを覚えている。読者がつけば何倍も嬉しい。大学時代、小説家になろうで大金星を上げた時は本当に楽しかった。あのころから、いや、もっと前から、おれは書くことを宿命づけられていた。もう既にムーサの逃れられない呪いにかかっていたんだ。次は東京だ。
 おれは本当に将来どうなるのだろうな。色々な可能性が見える。もちろん一番に出てくるのは、明日にでも死んでいる可能性。だが、これはおれの自虐的な悦びのひとつだからカウントしないことにしよう。一種の自傷行為だ。自殺のことを考えて喜ぶなんて。東京に着いた。でも死は恐れるに足らぬものだ。おれは古典を読んで知っている。あれらを書いた人々はみな死んだ。だからおれも死ねる。同じ領域へ旅をするのだ。現代大衆から永遠に離れられる。喜ばしいことじゃないか?
 神田だ。神田と言えば古典だ。古書だ。古本街ってのはいいものだ。おれは早稲田のそれしかはっきり知らないけれど。幼い頃はよく、父親と古本屋を巡ったものだった。おれの父親はとある分野の古書の収集家だった。いまもそうだ。死ぬまでそうなのだろう。幸福な人だ。
 ああ、次はついに秋葉原だ。マルスへ吸い込まれる。吸い込まれるぞ。もういまから吸引力感じてるもんな。行っちまう。行っちまうぜ。

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