くおん嬢について 2017/6/19

 忘我の境地に置かれることは生よりも死に近いように思われるけれども、おれは忘我している時の方が楽だ。
 死に近い方が楽だ。
 おれはおれのビズに対する態度を変えよう。成功するために取りかかるのではなく、休日を忘我するためにやるのだ。古典の渉猟も同じだ。忘我している時間が長ければ長いほど、その一日は充実したものになる。死に接近すればするほど、生の充実を感じられるのだ。矛盾しているようだがどうもおれの経験則では本当らしいんだ。
 昨日おれは内藤との会談を終えて秋葉原の街をふらふらしていた。辛い身の上を考えながら、くよくよしていた。手持ちぶさただった。くおん姫もまだ出勤していない。行くあてがない。散歩は人の心をリフレッシュさせると言うが、おれの散歩は最悪だった。心が内界へ向かう。それがよくないのではないか。
 おれはおれが思っている以上に活動的な人間なのではないか。そしてその活動力を内界に向けてしまうのが、諸々の不要のストレスを生む原因となっているのではないだろうか。力を外へ外へと発揮していれば、悩む暇もなくなり、充実した時間を送ることができる。忘我のためにおれは働こう。おれのビズをおれの忘我のために執り行おう。
 おれの長期目標は【一財産つくる】だ。おれの中期目標は【さも一財産築いたかのように生活する】だ。つまりは奴隷(サラリーマン)生活からの脱却、フリーランスの身でいてかつ、必要な金子を手にした状態を維持すること、だ。おれの短期目標は【独立】だ。奴隷の身分からさっぱり脱却することだ。短期、中期、長期の目標を達成するために、おれは忘我の境地を維持して上手く心の健康をコントロールしていかなくてはいけない。生きるために死ぬ、というような、矛盾が生じているようだがそもそも生きることとは死ぬことと不可分な性質をもったものではないかと思い始めている。「死んだように生きる」というワードには世間一般ではマイナスなイメージが付加されているが、しかし、「死んだように生きる」ことがもっとも生を華々しく享受したことになる、というケースもありえるのではないか。少なくともおれの、いまの状態、境遇、身分からしたら、「生きるとは、死ぬことと見つけたり」と言いうる。たぶん人生でもっとも辛い一時期がいまだ。死体に倣ってやり過ごすのだ。エジプト人は宴会に死体を持ち出した点、とても偉かったように思う。彼らの行動と、おれの言いたいことのニュアンスは大きく違うかもしれないが、死から目を背けくよくよするのではどうしようもない、それは宴会の席でだって、交友の時でだって、ビズだって、同じことだ。
 おれはいつか死ぬ。それは慰みである。
 おれは慰みを必要としている。ゆえに死んだように生きる。 

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 退勤後マルスピュミラに行った。くおん嬢に逢った。
 くおん嬢は最高だ。これ以上ないほど魅力的な女の子だ。可愛い。賢い。美しい。可憐である。その出自からして魅力的だ。上坂すみれを引き合いに出すのはどうかと思うが、女といえばそれくらいしか知らないおれのことだ、許してくれ、くおん嬢は上坂すみれによく似ていて、そしてまったく異なる魅力的な女の子なんだ。
 ワインを飲んだ。くおん嬢の艶髪はますます輝いた。
 くおん嬢は勤勉で一途でいじらしい女の子なんだ。
 おれの胸に去来するこれは何だ。恋だ。恋心だ。おれは知っている24年間生きてきて知っている。恋心とはそうだ、こういうものだった。苦しいものだ。胸を締め付けるものだ。愉しいものだ。身体がふわふわ浮き上がるものだ。
 恋だ。これは恋だ。おれはくおん嬢に恋をしている。
 おれがくおん嬢にすげなくされれば、おれの心は酷く傷つく。くおん嬢のまなざしがおれの上をさっと通れば、おれの魂は震えて踊る。
 くおん嬢は素晴らしい婦人だ。
 ディオニソスの霊験に撃たれた頭で、アプロディーテーのことについてぼちぼち語るのはとても難しいことだ。それでもやり遂げなくてはいけない。
 くおん嬢には才覚がある。いかなる男をも虜にする才覚だ。
 くおん嬢には慈悲がある。おれのような男を勘違いさせる慈悲だ。
 くおん嬢には気位がある。他を寄せ付けないダイヤモンドの煌めきだ。
 バッキンガム公だって、くおん嬢を前にすればイギリスを差しだしかねない。おれだっておれの野良犬の人生をほっぽりだしかねない。魔女だ。恐ろしい女性だ。畏れよ。嘶けケルベロス
 何を書いたら良いのか忘れてしまった。
「なあ、もううんざりだよ」。小説家気取りのたけるんが言う。「おれはいつか売れっ子作家になって、この国を飛び出すんだ」。隣には話し相手の、漫画家志望まもるん。きっと死ぬまで彼はそのままだろう。彼はその席で語らっているだろう。
 ピアノ・マンよ歌っておくれ。どんな歌だったかは忘れたが、甘いメロディーのやつだ。
 そこにくおん嬢はいないのだ。くおん嬢は成功している。都会で上手くやっていける子だ。おれはダメだ。田舎に引っ込んでうだうだしている。酒を呷っている。それでも甘いメロディーは響くだろう。ターラーラリラーラー。音楽と詩は全ての人民に平等の財産だ。
 恋は辛いものだ。思い出した。野蛮なおれもついに思い出した。そうだ、恋とはこんなものだった。胸が苦しくなるやつだ。どうしようもなくなるやつだ。耐え難いものだ。
 くおん嬢はおれに振り向かない。そうだ。それでいいのだ。彼女の幸福は彼女のためにある。おれのためにとっておく義理はない。おれのために分割する義理はない。おれのために縮小する義理はない。野良犬一匹かくまう必要はまったくない。
 雨に打たれ、おれは卑屈に雨を楽しむだろう。晴れの日は、愉快に陽光を浴びるだろう。くおん嬢はマルスピュミラでグラスを回しているだろう。くおん嬢だけは相も変わらず、グラスをくるくる回しているだろう。それが彼女の癖なんだ。
 おれの如きが恋などとは笑止千万。
 苦しいものだ。恋とは苦しいものだ。締め付けられる。死にたくもなる。生きたくもある。夢を見たくもなるさ。夢だけは自由だろう。鳥のように自由なんだろう。
 だから、きょうだけは、アプロディーテーも許しておくれ。恋の鉄槌はおれには刺激的過ぎる。またの機会だ。アディオス。またね。
 くおん嬢は遠いところにいる。彼女の背中には幾千もの星が瞬いている。おれは地上で、重力に打ちひしがれながら、やっぱりくだをまいている。ターラーラリラーラー。音楽だけは自由で平等だ。詩だけは自由で平等だ。それだけはおれにも許されている。
 くおん嬢は素敵なお人だ。
 くおん嬢は罪な女の子だ。