貧困について 2017/6/22

 昨日書いた日記を読み返す。ずいぶん昔に書いたように思われる。昨日のものとは思えない。最近短期記憶がダメになっている。現実と夢の区別がつきづらくなっている。
 きょうは朝から希死念慮が激しかった。ついに入院しようと思った。メンタルクリニックの受診がまだまだ先なのが心細い。あと2週間以上も後だ。昼になってひとつの苦役上のタスクを終え、いくらか落ち着いているがこれから数日、あるいは数時間後、どうなるかわからない。どんな厄介事がおれにふりかかってくるか、予想もつかない。それでも笑って行けというのか、ツァラトゥストラよ。
 おれは朝、「きょう死のう」と思った。病気がそう思わせているんだ。辛いのも病気のせいだ。だから死ぬな。しかし病気もおれの一部だ。だから死ね。
 デビューするんだろ、お前。作家になって、悠々自適の生活を送るんだろう。たかだかアルバイトがなんだ、通過点がなんだ、万事問題がないじゃないか。つつがなく進行しているじゃないか。
 おれの生活はターン制だ。防御フェイズと反撃フェイズがある。苦役上の都合により、おれの自由が奪われ一定の労力を費やさなくてはならない時間は、防御のフェイズだ。敵のパンチを防がなくてはならない。適当にいなしていれば反撃のターンがやってくる。幸いにも24時間365日死ぬまで防御し続けなければならないわけではない。敵の攻撃ターンをなんとか凌げ。そうすりゃこっちにもパンチを打ち込む機会が巡ってくるんだ。平日だって2時間くらいは自由に使える時間を捻出できるだろう。「あ、いま敵ターンだ。防御フェイズだ」と感づくだけでだいぶ楽になる瞬間があるんじゃないか。「敵ターン」があるということは、すなわち「おれのターン」もあるってことだから。ターン制の概念をもっていないと永遠に敵の攻撃が続くように思われて苦痛が無限に増大する。
 おれにはイマジナリー・フレンドがいる。ジョニーは早撃ちのガンマンで、ポールは黒人の聖職者のマッチョマンだ。アマディスは騎士でストイシャン。おれたち4人は堅い友情で結ばれている。命を預け合う仲間だ。どんな危機も4人で乗り切ってきた。力を合わせて。
 こないだ苦役先でアプレンティスがひとり死んだ。死んだんだと思う。組織を裏切ったのだから、懲罰騎士に殺されたに違いないのだ。グランドマスターが朝礼でそれを発表した。そのアプレンティスの教育係だったマスター位階ニンジャは、とても沈痛な面もちをしていた。おれは「次は我が身」と思って震えた。ロードはチャを飲んでいた。何もかも狂っていやがる。おれはアデプトになんか昇進したくない。マスターだなんてもっての他だ。いつか殺される時が来る。あるいは、殺す側に回る時が来る。
 いや、そんなヨタ話はどうでもよくて、きょう出社したら人事部長が覚醒剤をヤッていた。驚いた。嘘だけど。おれはカイシャを辞める時、「人事部長が覚醒剤をヤッてた」っていうホラを吹いてやろうと思っている。面白いから。

f:id:goemon0728:20170622203325j:image
 他人との比較はどうでもいいけど、どうでもいいんだけど、でもでもやっぱ、気になっちゃう。だからあえて他人とおれを比較するとしよう。貧乏の家の子は貧乏。おれもご多分に漏れず貧乏。これを恥と思うべきか否か? 経済的豊かさよりも心の豊かさ? いやいや、絵空事だそりゃ。財産がなくちゃ紳士にはなれんよ。おれは自分の境遇を恥じいるべきか? ノン。違う。仕方のないことだ。貧乏の家の子が20代前半でもう金持ちになっているって法はない。極端な例外を除けばまずない。奴隷(サラリーマン)のお給金は20代のうちにそう差が開かない。ゆえにおれはなるべくして貧乏になっている。問題ない。万事問題がない。異変がない。順調に事は進んでいる。それよりも重要なのは一貫性だ。おれがどう生きるべきか、その決断の有無だ。密度だ。おれは大学を卒業する前からムーサイオスの技術で食っていこうと決めていた。それがまずスタート地点だ。そこを出発点としておれは苦役先を選んだ。なるべく楽な、余暇の多い、そしてその代わりに給料は少なくても良い、そんな苦役をだ。おれがそれに成功したかどうかはさておき、その態度は終始一貫している。再就職先も同じ基準で選んでいる。ムーサイオスの恩寵を受けて生活ができるよう、おれはなるべく適切なルートを選んできた。人の姿形をして、ムーサが現れるのは、きっとおれが三十路に近づく頃になるだろう。技術を身につけるにはそのくらいの月日が必要だ。ムーサの技術を身につけたからには、おれに失敗はないだろう。おれは紳士になるだろう。おれは貧乏から脱却するだろう。他人と比較せよ。どうだ、おれの一貫性は。おれ自身が一番よく分かっていると思うが、おれは他の誰よりも一貫しているじゃないか。狂気的と言っていいほどに一貫している。槍のようだ。貫いていやがる。だからしておれは嘆くことはないんだ。貧乏を嘆くことはないんだ。他人との比較の上では、おれは特別不良な人種ではない。おれと似たような環境に生まれた者で、おれほどに一貫して上手くやっている人間は、そうそういないのではないか。おれは上位数パーセントに入る選ばれた人間なのではないか。そうだ、空元気をだせ。いいぞ、お前はよくやっている。貧乏は、苦痛は、ほれ、全部先祖の罪だ。お前自身の行動に間違いはなかった。限られた資源の中で実に上手くやっているとは思わないか。おれは思うぞ、良くやっている、と。貧困家庭の子が24でもう成金になろうってのがそもそもの間違い、焦りすぎなんだ。もうちっと確実にのんびりいこうや。人間脂がのるのは30過ぎてからだ。いまの社会じゃだいたいそうだ。「カイシャ」で課長クラス、マスタークラスになるのも30半ばくらいだろう。おれも日々研鑽して30くらいにマスターになればいいのだ。いまはアプレンティスだ。そのうちアデプトだ。功を焦るなnoob。おれは貧乏の怖さを知っているから一財産できたら、私設奨学金をやるつもりだ。デュマやモーツァルトの卵たちに金をばらまいてやりたいのだ。田舎に宮殿をつくろう。広い庭と田園だ。おれは皇帝の身なりをして、皇帝のように暮らす。自宅には私設図書館を作ろう。誰もが古典にアクセスできる知のセーフティネットだ。金糸で編まれたセーフティネットだ。それでもなお金が余ったら友人たちに配ろう。おれはエピクロスみたいに生活するつもりだから、そんなにお金はいらないのだ。ちょっとした庭と図書館があれば十分。食事と言えばパンとチーズひとかけらで満足するつもりだ。財産とはそうだ、こう使うべきだ。これでこそ紳士だ。貴族だ。何がメルセデスベンツだ、何がフォルクスヴァーゲンだ、バカども。勝手に経済をグルングルン回しやがれ。おれはおれなりのやり方で金を使うぞ。一貫してやる。そこは一貫してやる。世人に狂人と蔑まれようとも、おれはおれにふさわしい勝手な格好をして、バリザルドを腰に帯びて、ギリシア語で『イーリアス』を朗読してやる。それでもなおおれの側についてくれる者こそが、真の友人であり知的な仲間、ほとんど兄弟みたいな朋友だ。おれたちは老年の慰みに、詩を競作するだろう。そうして出来上がった宝石が、次の世代に火を灯すのだ。そうして人類中のごく少数の人々のうちに、古典の英知が継承されていく。世代を越えておれたちはドゥームズ・デイに備える。おれたちのミームは存外しぶといぜ。覚えときな。
 苦役が終わった。敵のターンは終わった。おれの番だ。おれのために夕日は沈む。おれはおれだけのロック・スターだ。プロテストしてやるぜ。叫ぶ。No! No! No! 最強のコードと究極のビートで愚者全員をファックしてやる。どいつもこいつも適応しやがって。適応? 麻痺、と言い換えてもいい。みんなビリビリ・サイケ野郎ばかりだ。もっとてめえのキンタマの声に耳を傾けろ。支配者よりもキンタマだ。支配者はスペルマ以下の汚穢だ。殺せ。殺してやれ。おれは殺す。殺すぞ。皇帝のように殺す。無慈悲だ。ダンス! ダンスだ! 踊れ踊れ! 無慈悲に踊れ! 剣舞だ! ダッダダダダン!
 無知とか、不器用とか、勉強不足だとか、怠惰だとか、そんなものは関係ないんだ。おれたち古典を愛好する民は、緩やかに連帯しているんだ。その紐帯を愛を呼んでもいい。人間愛だ。支配への嫌悪だ。魂に刻印された貴族性への正しい信頼だ。剣を手にする勇気だ。その繋がりを常に意識することが、サヴァイヴの大事なコツなんだ。孤独には必ず打ち勝てる。孤高には勲章が与えられる。お前が懐に忍ばせている『ソクラテスの弁明』は黄金の輝きを放っている。お前が死してなお輝いている。どこかの孤児が死体から『弁明』を盗んでいった。あの子供はきっと魂に黄金を秘めている。それが花開く日も遠くはない。そうしておれたちのミームは受け継がれていく。おれたちはミームで縦に繋がっている。おれたちは透明の紐で横にも繋がっている。お前は一人ではないのだ。決して一人ではないのだ。