狂人について 2017/6/24

 きょうは11時ごろに起床した。予定よりもずっと遅起きだ。そのせいで気分が沈む。予定していたビズが出来なくなった。

 帯剣してマクドナルドへ昼食を買いに行った。グランドビックマックセット。ドリンクはいつも通りファンタグレープ。だいぶ満腹になった。

 おれはどうしたら成功できるんだろうか。おれのムーサに関する技術の稚拙さにはもう辟易している。練習あるのみとは分かっているが、希望なき訓練は非常な苦痛を伴う。おれはその苦痛に耐えなくてはいけないが、ただでさえ生活を維持するための労働で苦痛を受けているのだから、もう心身は疲労困憊といった状態だ。きょうもちゃんと起きられなかった。

 おれは労働そのものに苦痛を感じているのではない。労働をする現場に生息している、労働者どもとの付き合いがとっても苦痛なのだ。話が合わない。頭が違う。思想に大きなズレがある。異星人と付き合っている気分になる。たまに労働者同士で遊びに行った話など耳にするが、思いもよらないことだ。どうして、志を同じくする仲間でもない、ただそこに居合わせただけの卑しい人間と、親しく付き合うことができるのだろうか。要はレベルが同じだからだろう。おれのレベルが高い、と言いたいわけではない。おれのレベルが周囲の労働者に比べて低い、ということにしておいてもよい。それにしたっておれは周囲に溶け込めないのだ。心の中に抱いている諸々が違い過ぎる。奴らはテレビを信じている。おれはテレビなんて見ない。奴らは新聞を信じている。おれは新聞なんて真面目に読まない。奴らは古典を読まない。おれは相当な熱意をもって古典を読む。奴らは己の経験にやたらと自信をもっている。おれは自分の経験から物事の真理を見出すことに、非常に懐疑的である。統計的、科学的に誤謬に陥る可能性が高いからだ。自分の経験だけをあてにするのは、サンプルが少なすぎて危険な行いだ。しかし奴らはとても自信に満ちている。おれは自分の振る舞いや考えひとつひとつに疑いをもっているから、生きづらい。奴らの大胆さに対して常に気後れする。おれが苦役に励んでいる後ろで、奴らの話し声が聞こえてくる。その内容に気を取られるだけで、おれのヒステリー球が出しゃばってくる。なんとわけのわからない、誤謬に満ちた会話をしているのか、と。もしおれが連中を昆虫と同様に考えることができるようになれば、おれはよほど快適な生活を送ることができるあろう。おれはカマキリにカマを振り上げられようが、気分が落ち込むことはない。スズメバチに威嚇されようが、心を悩ますことはない。昆虫に悪口を言われたところで、笑って済ませられる。しかしそれは孤独だ。いや、いまのままでも孤独なのだが、なんだかおれはそうすることで「人間」から遠ざかってしまいそうな気がして怖い。「狂人」になってしまうのではないだろうか。手遅れか。もうおれは狂人の領域に足を踏み入れているのではないだろうか。