貯金について 2017/6/24 Ⅱ

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 一日むしゃくしゃして何も手につかずどうしようもないので、リスペリドンを啜った後、散財をしに観賞魚店へ行った。プラ舟と投げ込み式フィルターを買った。いい買い物だった。あとは稚魚用の飼育ネットを購入すれば今シーズン、メダカは豊作だろうと思われる。

 17時半頃に夕食を食べに行く。家系ラーメン。すっかり財布が軽くなった。

 もうきょうは取り戻せない。どうしようもない。もう服薬をした。寝るしかない。寝る前に『ブラジュロンヌ子爵』の続きを読もうと思う。それできょうは満足に終わるだろう。満足とまではいかなくとも、それなりの睡眠が約束されるだろう。

 おれはいったいどこへ行こうとしているのか。平日疲労困憊して、休日は寝て暮らして、それで一年があっという間に過ぎていく。このままでは一生ルーザーのままだ。労働者のままだ。奴隷のままだ。心躍る冒険も、活劇も、何もない。許されない。とにかく苦役はキリのいいところで辞めるべきだろう。そのためにはちょっとした貯金が必要になる。引っ越しやその他諸々の出費が生じるはずだ。おれは少しずつでもいいから金を貯めなくてはならない。しかし、手取り15万にも満たない収入の状況で、かつ、借金を返済しながら暮らしているいまの状況で、どうすればいいのか。簡単な算数だ。おれに貯金はできっこない。

 人生のどん底に置かれているという実感がある。裏を返せば、あとはもう上がっていくだけだ。衣食住が満ち足りているのに、どうしてこんなにまで辛いのかおれにはよく分からない。おれが特別貧弱な身体をしているからだろうか。そうとは思えない。マズロー欲求の段階のどうのこうので説明のつくことだろうか。そうかもしれない。おれは高次の欲求を抱いている。おれは皇帝の座を狙っている。自分を生まれながらの王だと勘違いした労働者、そんな存在ほど惨めで辛いものはないのではないか。そうでもないか。おれよりも苦痛を甘受しながら暮らしている人間はごまんといるはずだ。だからどうだっていうのだ。おれが辛いのは本当だ。おれは辛いのだ。比較は意味をなさない。おれよりも惨めな奴隷を観察して、心を慰め、現状を肯定するなど、おれにはできない、やりたくない。

 とにもかくにもおれはまだ24だ! ラウルの年齢だ。恋に死ぬこともできる。なんでもできる年齢だろう。それなのに、どうしてこんなにも焦燥感がおれを苛むのか不思議だ。おれはまだ若い、と言い聞かせながら毎日生きている。そうして慰められることはない。おれにはなりたいものがある。それだけである種の人間よりはずっと幸福なのかもしれない。しかし、この状態を幸福と呼ばなくてはならないとしたら! 人間とはなんと惨めな生き物であろうか! 人間になど生まれたくなかった! あるいはおれたちは、自分が幸福であるか不幸せであるか評価するのを、何かシステムの力によって妨げられているのではないか。おれたちは自分を「幸福」と思わなければならない、という圧力を受けながら暮らしているのではないか。見かけの上では、そうだ、衣食住は満ち足りている。しかし、しかし……。

 古典だ。古典を読むに限る。おれがいつも救いを求めるのは古典なのだ。時代の異なる賢者たちの言葉なのだ。現代人などくそくらえだ。ふん!