人生について 2017/6/28 Ⅱ

 苦役の前半が終わった。東京へ向かっている。おれは思った。苦役はおれの人生にとってあってもなくてもよい時間だ。朝9時から夜18時までワープしてくれたってかまわないものだ。しかし人生は限られており、短い。端的に言って、苦役に従事するということは、おれの人生もったいない捨て方をしているのと同じだ。Twitterで20代から60代までの長い長い時間をいかにして使うべきか、という啓発動画を見た。普段おれはこういう自己啓発的なあれこれは好きじゃないのだが、この動画だけは気に入った。おれにぴったりの助言だと思ったのだ。おれは産まれの不幸のせいで教育が十分ではない。だから高度な教育を要する職業にはなかなか一筋縄で 就くわけにはいかない。でもおれはそこを目標にしている。おれは金のためだけにいまの苦役に励むより、おそらくは今後長いであろう人生をより豊かに過ごすため、困難の壁を乗り越えていかなくてはならない。では明日、否、きょうからどのように行動していくべきか? まずもったいない苦役中の時間の使い方を改めるべきだろう。おれはまず自分が給料泥棒の盗賊だという意識を持つ。そして苦役中にもおれのビズのための働きをする。ブレインストーミングや、構成や、その他、奴隷監督官の隙に乗じてこなせそうな宿題を用意し、苦役に臨むのだ。わずかなそうした積み重ねがいずれは大事業の成功に繋がらないとも限らないだろう。宿題を用意する。素 晴らしい思いつきだ。

 あるいは自殺してしまうかだ。

 屈辱に満ちた40、50年間を暮らすくらいであれば、いっそ死んでしまったほうがマシだ。きょうも何度、ああいま死のう、と思ったことか分からない。おれは根本的に話の合わない大衆と過ごすのが苦痛で仕方がない。愛想笑いの尽き果てていない、まだまだ元気の残っている大衆は実に見上げたものだ。おれは彼らに近づくのも怖い。ガチでソクラテス相手に日本式年功序列がいかに普遍的な善のシステムであるか説きかねない大衆だぜ。恐ろしい。奴らが笑うとおれは怒る。奴らが怒るとおれは笑う。まったくあべこべだ。異民族の群にひとりだけ放り込まれた気分だ。違和感を抱えておれは生き ている。トキントキンの違和感をおれは、死ぬまで忘れずにいられるだろうか。この怒り、この悲しみ、この憎しみ、すべて若い頃の過ちと笑う日が来るのだろうか。もしそうならおれは老人のお前に失望する。