人生について 2017/7/3

 おれはこれまでの成果物を読み返す習慣を開始したが、なかなかどうして、初期、おれが臆面もなく無謀な目標を掲げていた頃と比べてたら結構なクオリティのものが仕上がりそうだ。掲げた目標はもはや無謀なものではなくなっている。継続はサグラダ・ファミリアだ。何よりも継続するということが肝要だ。平日は30分はビズをしよう。それから酩酊でもなんでもすればよい。
 苦役はアルバイトに過ぎない。一時的なものだ。賞与のない、退職金のない、休職時の保障のない条件の悪しき会社に忠誠心を無理矢理覚える必要はない。商品が粗悪でかつ高価だったら消費者はそれを買おうとしないだろう。おれはいまのこのポストという商品にそれほど満足を覚えていないから、いつでも契約を変更するなり破棄するなりして、別の商品に飛び移ることができる。また、積極的にそうするべきである。おれはのし上がっていかなくてはならない。財産をつくるか、あるいは死ぬかだ。おれ自身を安売りし過ぎてそのうち魂まで買い取られちまったら、たまったもんじゃない。
 どうしても素面の時は「死」だとか「苦」だとか、物騒なワードが飛び出してくる。あまり陽気な日記とはこれでは言えまい。おれはシリアス過ぎるんだ。どうしてもっと楽天的にならないのか。説教受けてもいいだろ。どうせ嘘ばっかりの茶番劇だ。3年後には忘れてる。必ず成功するんだから多少サボったっていいだろ。1秒も無駄に出来ないほど追いつめられているわけでもなし。新しい音楽でも聴いときゃいいだろ。あとでこの時代を思い出す時の手がかりになる。悪夢で見る地獄よりもずっと、現実のほうが易しい世界だ。おれの手腕を十全に発揮することができる。学習は蓄積してやがて大事業に繋がるだろう。
 辞めちまえ。明日「辞めます」と言ってみろ。どのように事は展開していく? 親に金を借りて引っ越し諸々の手続き、資格取得費用の返還、その他雑費をまかなって、実家に逃げ帰る。実家では大変居心地が悪い。家庭の雰囲気は最悪だ。それは本意ではない。少なくともおれは、少しばかりの貯金を用意しておかなくてはなるまい。
 結局お前は苦役においてなにを一番恐怖しているのだ。叱責か。失望か。幻滅か。侮蔑か。被支配か。なんだかわからない。もやもやした他人への敵意と恐怖がおれを取り巻いている。違う種族だ。労働者のまま一生を終えようという階層とは。おれは彼らとは違う民族だ。民族間のコミュニケーションに齟齬が生じている。信じる神が違うから仕方がない。戦争になりかねないところを、ぐっとこらえて生きているマイノリティーのおれはなかなか自制心に恵まれている。
 昼になった。ヒステリー球がきょうは午前からバッチリ出てきている。困る。不快な症状だ。もしかしたらこれはヒステリー球のためだけでなく、パロキセチンの副作用によってのどの違和感、吐き気などがあるのかもしれないが分からない。専門家の指示に従うよりない。昼食はカロリーメイト(チョコ味)4つ。400のカロリーを摂取。食欲がない。継続的なむかつき、吐き気がある。
 どうしたっておれのこの時期は労働に費やさなくてはいけない。若き日の修業時代だ。仕方があるまい。いまこの瞬間を楽しみたまえ、紳士諸君。先行ノスタルジアを作成するのも大事だ。だから新しい音楽と新しい習慣を身につけるべきなのだ。そろそろおれはワーグナーとか攻めてみようか。クラシック音楽史に残る名曲は一通り聴いておかなくちゃならない。それをしないのは損だ。せっかくこの地上に産まれたのに。
 きょうは時間が経つのが随分早かったように感じる。あっという間に夕方になっている。16時まで矢のように過ぎた。
 きょうは肉を買ってラーメンと共に煮て食う。シャワーを浴びて洗濯をする。ビズもする。睡眠時間はしっかり確保だ。明日は自立支援医療の手続きをするために苦役先を早退する。半ドンだ。明日は上手く立ち回らないといけない。無駄にしちゃいけない日だ。――そうやって気負うからいろいろ上手くいかないんじゃないのか。適当にやればいいだろうぜ。ほどほどにな。受験時代だって8時間も勉強すればヘロヘロになってたろ。そんなに集中力が続くもんじゃないんだよ人間ってのは。それに受験時代にも何度だっておれはサボったじゃないか。計画をおしゃかにしまくったじゃないか。それでも成功しているんだ。もっと気を楽にしろ。おれの思っているよりおれの仕事は楽に成し遂げられるのだ。だいたい予期不安を抱きすぎる。それは健康な「良き不安」じゃない。
 21時にゾルピデムブロチゾラムを食おう。それからビズして食事だ。22時頃には安眠できるだろうと思う。そんで5時45分に起床だ。
 おれはそろそろビズ上のインセンティヴを手に入れる。おれの火だるまの家計のなかから3000円を自由に使っていいことにする。なにに使うか。ミユキとか銀河だとかいう品種のメダカを買ってみようか。あるいは酒と女のために使っちまうか。みみっちい話だ。とてもまともな教育を受けてきた人間の暮らしとは思えない。本当にいまは21世紀なのだろうか。21世紀ともなればもっと人間は豊かに暮らしていそうなものだが。とにもかくにもおれは浮浪者で、資本のない、歯車の一人だから仕方ないのだろう。おれはスラム産まれだ。ええい、ビズだ。ひたすらにビズだ。おれの手でムーサの技芸を勝ち得るのだ。――ほらそうやってまた気負っている。テキトウにやればいいのさ。タイムリミットなんて端からないんだから。
 苦役が終わった。きょうも苦役は苦役だった。気分は晴れない。労働の後の喜びってのはつまりその労働がある程度気に入っている人間にしか訪れないのだろう。おれはいま服している労役が気に入らなくてしょうがないから、こんなザマなのだ。しかし仮にも自由の身であったはずのおれが、どうしてこんなことをしなくてはならない境遇に置かれているのか。もう何度も己に問うたぞ、これは。答えは貧困だ。実家が太くなかったからだ。だから奴隷のまねごとをしなけりゃならんのだ。分かったか、ええ?
 紳士に電車の座席を譲られた。まだまだ捨てたもんじゃないな、人間も。おれも外見からして相当まいっているのだろうな。毎回言われるもんな、誰かに会う度に「疲れている」だの「キマッている」だのと。正解だよ。おれはやられている。おみまいされている。だが、勝つ。敗北はありえない。敗北するくらいなら死ぬからだ。おれが生きている限りは、おれは勝ちの途上にあるか、あるいは実際に勝利を収めているか、そのどちらかだ。死ぬつもりの奴に道徳なんて説くなよ。おれはおれの学んだことに誇りをもっている。おれは勝手にやらせてもらう。それだけだ。
 実際のところ、どうなのだろうな。統計的な話さ。成功している人間はおれのいまの時代、つまりは24、5の頃、どんな生活をしていたのだろうか。おれみたいに苦役に就いていただろうか。あるいは恵まれた環境で綺麗に敷き詰められたレールを走っていたのだろうか。おれの目の前にはレールなんてないもんな。泥沼だよ。必死で漕ぎ進んでいる。泥沼から抜け出して黄金を見つけた奴は何人いる? テレビに映っているだけで何人いる? それはおれにとってとても関心のある事柄だ。水曜どうでしょうの連中は偉いよな。あれは若いうちは苦労していたクチだろうな。安田顕なんてのはあの黄色い着ぐるみに入ってからもアルバイトしてたって話だもんな。結婚のために300万貯めたんだってよ。あの牛乳ゲロの兄ちゃんが、いまじゃあスターだぜ。綺羅星だもんよ。おれも当然そうならなきゃならん。身につける技芸は違うかもしれんが、終着点は必ず一緒じゃなきゃいかん。まともな財産と、余暇と、名誉だ。一番最後の奴はなくてもいいかしれん。とにかく財産と余暇は必須だ。
 ああ、おれは成功するだろうな。なんとなく分かるぜ。これほどまでに悩み、苦しみ、突っ走っていやがるんだ。いいだろ、成功くらいしたって。ちょっとした財産くらい身につけてもバチは当たらんだろうよ。おれのささやかな願いのひとつくらい、叶ってみたっていいじゃないか。それともまだ苦労が足りないか? 苦労が増せば増すほど成功が近づくシステムか? おれはそうは思わないけどな。懐疑的だよ。ちっとも苦労せずに……ちっともというのは言い過ぎかもしれんが、しかし、比較の上でたいした苦労もなしに成功した連中ってのもいるだろう。確実にあるだろう。そのケースは。おれはそうはなれないに決まっている。もうちっと苦しむだろう。でもまあ、見方によっては、ちょっとした人生のスパイスかもしれない。交響曲(シンフォニー)で言うところの緩徐楽章だ。第2楽章があるからこそシンフォニーはビシッとした構成とてきめんの効果を保つんだ。だからまあ、ちょっとしたことで死んじゃあいかんな。さていよいよという時を見極めなければならんて。
 新小岩の住宅街を、「くそったれ、バカにしやがって、くそったれ」とつぶやきながら歩くこの晩が、いつか愉しい思い出になる日が来るのだろうか。もしそうなら、まさしく人生は奇跡と言わなきゃならない。