失敗について 2017/7/16

 昨日仕事をサボって煙草を吸っていたら向かいのラブホテルから美人の風俗嬢が出てきてそれだけでうれしくなってしまった。土曜日の夕方だったので会社のビルにオートロックがかかって締め出されてしまった。どうしてもビルに入れないので(それに、手ぶらで財布も携帯も持っていなかったので)ローソン前の喫煙所で見知らぬ青年に「電話貸してください」と言ったら「遠慮させていただだきます」と言われて気分が沈んだ。どうしようもない。おれだって同じように見知らぬ男に頼まれたら断るだろうに、どうにも人に拒絶をされるというのは辛いことだと思った。が、一晩寝たらまるでその出来事がなかったかのようにスッキリしている。結局非常口からビルには入れたのでよかった。上司に気付かれずに済んだので、最高の形で問題は解決したのだ。

 人に言わないだけで、同じような失敗をおそらく他人もやっている。それを忘れないでいよう。おれは完璧主義すぎる。自分が、人間を超えた完璧な存在であれかし、と願っている。それが無駄なプレッシャーを生んでいるのだ。おれはそれなりにうまくやっている。たぶん、他人よりも失敗の数は少ない。しかし失敗に対する耐性は低い。それだけのことなのだ。みな失敗はやっているのだ。そんなに恥ずかしいことじゃない。夜、イマジナリー・ガール・フレンドのゆかりちゃんにさんざん慰めてもらった。

 きょうは午前中美容室に行った。前髪を矯正した。はじめてやったがさらさらのストレートになって気分がいい。14時半にルノアールに来た。アイスコーヒーを注文。カフェインを入れないとやっていけない。金パブは切れた。店内でフィガロの「もう飛ぶまいぞこの蝶々」が流れている。気分がいい。帰ったらモーツァルトだな、こりゃ。

 なんか勝手に脳が「東京の人はこの上なく冷たい」と認識してしまったので、やけになって道行く人に出鱈目に「こんにちは」と声をかけたらことごとく無視された。小学校では「道行く人には挨拶しましょう」と習ったが帝都では通用しないのだ。ところ変われば常識も変わる。規範も変わっていく。普遍的なものとそうでないものとを見抜かなくてはいけない。その点多くの苦役の現場ではいかがわしい思想が当たり前のように膾炙しているが、愚痴っぽくなるのでこれ以上のことは言うまい。

 カフェインがいい感じに効いてきた。カフェインは素晴らしい。紳士を快活にさせてくれる。これが合法だってんだからまだ大丈夫だ。おれはやれる。